監修を終えて


 

新編弘前市史監修者
乕尾 俊哉
 正直なところ、監修という仕事がどういうものか、今もってはっきりとは分からない。しかし、とりあえず送られてきた校正刷りは、その都度全部眼を通した。資料編の方はその性質上、多少体裁にかかわることについて発言した程度で、文字どおり眼を通したにすぎなかったが、通史編に入ってからは、全部読んだ。それは当然の責務と考えてのことだが、そればかりではなく、かつて自分が住んだ町の歴史を知ることがいかにも楽しかったし、また勉強にもなったからである。このあたりの感想は、この市史を繙(ひもと)いてくださる市民の皆様方にも共有して頂(いただ)けるものと信じている。
 しかし、監修者としては楽しんでいれば済むということではあるまい。そこで、気がついたことは遠慮なく朱を入れさせて頂いたが、中には執筆者にとって心外のこともあったのではないかと恐れる。もとより、少しでも優れた市史として世に出したいという微意から出たことであり、その微意を小生の浅学が邪魔したということにほかならない。御寛恕(じょ)を乞(こ)うほかはない。
 なおまた、県史でもなく村史でもない、市史にこそ特有な、「都市史」という視点からの記述があまり見られないという御批判もあろう。これは監修者としても気になるところであるが、現在の地方史研究の水準を超えることはなかなかに困難であったというほかはない。
 私個人にとっては、体調不調と闘いながら完成を急いでいるライフワークの合間を縫って、厖(ぼう)大な校正刷りのすべてに眼を通すという作業はかなりきつい面もあった。しかしこの仕事が晩年の学究生活を彩ってくれた貴重な経験であったことも事実で、改めて感謝の念を覚える。最後にこのことを申し添え、かつまた、弘前市のいっそうの発展と繁栄を祈って筆を擱(お)きたい。