弘前銀行の解散

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弘前銀行は三週間の休業後、昭和六年(一九三一)十二月十五日に再開業したものの、本格的な営業再開はできず、開店休業の状態となった。昭和七年になると大蔵省の斡旋を受け入れ、経営陣の刷新を図るが、昭和八年に元重役による背任横領疑惑が出てくると、新聞はスキャンダルとして大々的に取り上げた。結局、この事件は容疑をかけられた元重役が同行の信用を守るために粉飾決算を行ったという商法違反として結審する。その後、同行は事件が一段落した昭和九年になってから再建を目指すが、すでに大蔵省は昭和八年の段階で弘前銀行に見切りをつけ、第五十九銀行に同行の整理を内命していた。第五十九銀行による整理は昭和十一年から始まり、弘前銀行は昭和十三年九月十三日に営業満了を迎えると営業継続は許可されず、解散するのである(前掲「昭和初期の青森県における金融機関の動向について」)。