弘前青年学校の発足

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 時局の進展に伴い、青年学校の振興は急務とされた。ことに昭和十六年十二月八日の大東亜戦争勃発により、青年学校の軍隊予備施設としての機能が重視され、専任校長と専任教員を置いた独立青年学校の設置が要望された。文部省ならびに県もそれを推進したが、独立した青年学校の設置は市町村が財源を確保しなければならず、青森県内にも数えるほどしかなかった。
 その状況の中、昭和十七年(一九四二)四月一日、弘前青年学校が開校された。これまで各小学校に併設されていた青年学校を廃止して、一校に統合したものである。公立弘前青年学校校舎は、本町一丁目の弘前国民学校(元弘前高等小学校、現弘前税務署敷地)の一棟が充てられ、校長事務取扱いとして弘前国民学校教頭の鎌田饒が任ぜられた。専任教員二人、兼任教員一人、専任指導員二人の陣容である。指導員は主として軍事調練の指導に当たった。
 弘前青年学校開校式および十七年度入学式は四月十二日に挙行され、生徒四〇四人。来賓として軍関係、県関係、市内有力者など五十余人に達し、このように来賓が多数に及んだのも、独立青年学校に対する期待の大きさを物語っており、特に軍関係者が多いのは、青年学校が壮丁訓練の場と見なされていたからである。

写真63 高杉青年学校合宿訓練(茂森禅林において、昭和18年)