この極度に窮迫した状況に対し、県当局、県会は声を大にして救済を叫ぶが、その実態は凶作救済に名を藉(か)る銀行の救済、地主の救済を出ないと批判された。貧農に迫る地主に何の制肘(せいちゅう)もなく、「差押さえデー」と称して村長自ら陣頭に立って荷車を連ね、村を歩く。県財政も、旧県債のほかにこの救済起債が一〇〇〇万円近くになったため、県債総額は倍増となり、二〇〇〇万円を超した。また、弘前市の昭和七年の予算額は四四万五〇〇〇円で、前年比五万六〇〇〇円減の八八%、昭和五年に比べれば八二%だった。さらに、災害救助の土木費、副業資金、肥料決済資金などは、農民を潤すより先に請負師、村当局、地主、肥料商の懐に入って、逆に「凶作成金」を生み出すおそれがあるとして、監察の必要性も叫ばれた。