昭和二十三年四月、第二大成小学校と和徳小学校に養護学級が新設された。養護学級は身体虚弱児を収容する特殊学級であるが、身体虚弱児の教育については学校教育法第一二条に「健康の増進を図るために、身体検査を行い、適当な衛生養護の施設を設けなければならない」と規定されていて、第二大成小学校と和徳小学校の養護学級はいち早くそれを実施したものであった。二十三年四月に発足した養護学級は県内で二校、それも弘前だけに設置され、その成果が注目された。
第二大成小学校養護学級は小体操場屋上に設けられ、教室と畳敷きの休憩室に分けられた明るい部屋であった。担任は中野弘文教諭、補助には睦野菊枝養護教諭が当たり、校医鳴海康仲が積極的に指導に当たった。収容児童は主として結核性疾患の一七人であった。和徳小学校養護学級の担任は渡辺邦輔教諭、駒井とよ養護教諭が補助に当たり、福島守男校医が協力した。呼吸疾患の疑いのある者、肢体不自由児など二〇人を収容した。
両校の養護学級は、校医の熱心な指導によって大きな成果を上げ、県下に先駆けた養護学級としてモデル・ケースの役割を果たした功績は高く評価された。