週五日制の実施

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昭和二十四年五月二日から週五日制が青森県下一斉に実施された。これは、進駐軍軍政部がアメリカ方式を押しつけたもので、県教育委員会としては、実施したくなかったというのが本音であった。しかし、占領中のアメリカ軍政部の勧奨なので、不本意ながら実施したものである。
 五日制は一週中五日間は連続授業を行い、第六日目(土曜日)は授業を行わない日と定め、学校行事、職員集会、研究等に充当し、月曜日から金曜日までの五日間は行事集会を排して完全授業を建て前とするもので、教育能率と職員児童の生活合理化を図って採用されたものだが、確かに集会や行事には都合がよかったが、それが児童に関係ない集会や行事の場合には児童は休業となって自宅で遊んでいることになる。したがって、学習面や生活面でさまざまな問題が多くなった。結局、日本の現状では週五日制は時期尚早ということで、二十四年、二十五年の二年間実施しただけで廃止となった。