藩政期より弘前は城下町であり、近代になっても津軽地域の中核都市と位置づけられてきた。昭和三十年(一九五五)三月一日、弘前市と中津軽郡一一ヵ村の合併が成立すると、弘前市は津軽地域の中核都市として行財政運営を展開していく。合併後の弘前市政は、藤森市政から福士市政そして金澤市政へと引き継がれていくが、行財政運営は市だけでなく、常に国家財政に働きかけた、津軽地域全体を視野に入れたものであった。
本項では、昭和三十一年の藤森市政以降の財政を各年の第一回市議会定例会における市長の市政運営に関する基本方針と各会計予算案の概要から述べていくことにする。