昭和三十八年(一九六三)には、自動車の増加に伴い、旧市内の主要道路に通じる裏通りに路上駐車が目立ち、地域住民への迷惑が増大していることから、弘前市営駐車場の設置についての請願が弘前市町会連合会長から市議会へ提出され、採択された(同前No.五〇八)。
さらに、弘前市内中心部を貫通する国道七号線の交通量増大は弘前市商店街においても問題視され、昭和四十年には青森県商工会議所連合会会長の名において、国道七号路線バイパス道路建設促進について青森県土木事務所長、青森県知事、青森県議会議長並びに建設省東北建設局長に対して陳情がなされた。
その陳情理由として、「この国道七号線は最も交通量が多く、交通事故も最大といわれており、昭和三十九年六月六日付本連合会の決議に基づき国道七号路線の一部変更の早期実施方を要望した。昭和三十八年十月十四日弘前市が行なった交通量の調査結果によると、代官町調査地点に於ける自動車類の交通量は七時から十九時まで都合一二時間で八四九八台の多きに達しており、現在では更にこれを上回っているものと考えられる。この路線は、弘前市においても、和徳町、代官町、土手町、松森町を経て石川を通り秋田に至っているが、代官町と土手町は十字に交差しており、国道を通る車輛は悉くこの個所において左折迂回することになる。しかもこの個所は弘前繁華街の中心地域で車輛の輻輳極めて大であるので藤崎町より弘前市門外に至るバイパス道路を建設して交通規制を行なうことは交通量緩和の点からも交通事故の減少をはかる意味からも、又車輛の運行時間を短縮する点からも頗る重要なことと考えられる」というものであった。この年にはこのほか、同連合会からは東北縦貫自動車道建設促進、公営駐車場用地買収、奥羽線複線化促進、国道整備促進等の陳情がなされた。なお、国道七号線バイパス工事は昭和五十二年に竣工した。