高度成長とともに青果物の消費量が大きく伸びるなかで、青果物流通の近代化はわが国の大きな政策課題となった。また、弘前を中心とする津軽一帯に限っては、りんご産地流通の担い手であった仲買人の減少に伴って、その機能を補完するりんご産地市場の設置が不可欠となってきた。そこで、昭和四十四年(一九六九年)大果弘前大城東青果市場株式会社(現さくら野百貨店敷地)、同四十六年(一九七一)弘果弘前中央青果株式会社(社長大中正元)が相次いで設立された。いずれも、りんご主産地に立地していることを反映して、売上高の約半分をりんごが占めるという全国的にまれな特徴を有した。
大果の経営は発足当初から不振を極め、昭和四十六年(一九七一)弘前市農協の経営参加が決まった。しかし、五所川原市とむつ市への分場設立の失敗をはじめとして、経営不振を脱せず、大果は平成元年(一九八九)閉鎖した。一方、弘果は次々と売場を拡張した(青森県りんご一二〇周年記念事業会『激会『激動・この20年』一九九五年)。りんご産地市場としてりんごの取扱量が伸びたこともあって、収穫期には弘果周辺がりんごを出荷する農家の車列で交通渋滞を引き起こすほどであった。また、減反対策として独自のメロン品種を開発し、昭和五十五年(一九八〇)から「つがりあんメロン」ブランドとして展開、その生産指導から販売までを弘果が一手に行っている。農家の花き栽培に対する関心が高まるなかで、平成十二年(二〇〇〇年)、花き卸売部門を独立分社化して株式会社弘前花きを設立した。このように、弘果は弘前市とその周辺の青果物集散市場として、また、りんごの産地市場として、近年では経営の多角化を進めながら、津軽の農業振興に大きな役割を果たしている。