昭和四十八年(一九七三)四月、城西小学校に弘前市最初の情緒障害学級が開設された。情緒障害学級とは、普通学級での適応が著しく困難な情緒障害児を対象に、その治療教育に当たる学級である。
城西小学校の情緒障害学級は四十七年四月に設置が内定、担任として熊谷公秀教諭が当たり、同教諭は四十七年六月から十二月まで東京の国立特殊教育研究所に入所、長期研修に従事して帰校。四十八年一月から開級手続きや諸準備、一月の同校就学児検診で男子二人の情緒障害児が発見され、入級者名簿が作成された。
昭和四十八年四月開級、学級担任は熊谷教諭と泉谷佳子教諭が当たり、入級児童は男子三人、女子一人、いずれも一学年で、ほかに男子六学年一人と一学年一人の通級児童があった。教室は普通教室を使用、児童用机四個と教卓二個あるだけで殺風景きわまりなく、情緒障害学級の設備としては、熊谷教諭に言わせると「全国的にみて最低の情態」であった。これは市教委・学校とも情緒障害学級の何たるかを理解できず、教室さえあれば事が足りると思っていたからであろう。事実、同校の情緒障害学級は発足からの一年間ないし二年間は、試行錯誤の連続であったという。
その後、同学級には各種の教具も備えられ、四十九年十月には風呂場が増築され、五十年三月には教室の改造が行われた。さらに、同年六月には、東京学芸大学から野村東助助教授の来級指導を受けるなど、学級の充実に意を注ぎ、成果を挙げている。