病弱児学級の開設は、四十八年十二月県から認可されたもので、四十九年四月の開級を目指して準備が進められた。四月一日病弱児学級担任として川村勝教諭・一戸いく教諭の二人が発令された。病弱児学級の名称を全校職員から募集したが、近藤昭一教頭提案の「ひまわり学級」と決定した。
写真196 「ひまわり学級」開級式当日(昭和49年4月17日)
ひまわり学級の教育目標は、一、疾病に冒された長期入院中の児童が、全治して親学級に復帰するまで、医療機関と緊密な連携のもとに学習内容の充実を図る、二、学習の遅滞を余儀なくされ、それに起因した心身障害を除去し、健康回復の意欲を高め、親学級復帰の自信を涵養する、の二点とし、具体的目標としては、あくまで健康回復が第一であり、学習は健康回復への自信となり得る範囲にとどめることとした。教育課程の領域は各教科、道徳、特別活動、養護訓練としたが、児童の病状に合わせて、教師が教授内容に斟酌を加えることにした。
ひまわり学級の開設は、入院児童の管理に手を焼いていた病院に喜ばれ、入院児童の父母にはそれ以上に喜ばれ感謝された。開級当時の病弱児たちの遊びは、大人の入院患者の影響で花札とかトランプなどに限られていたが、学級運営が軌道に乗り始めると、そのような遊びは消滅して、書道や工作や花づくり、虫の飼育などが子どもたちの遊びになった。これも学級開設の成果であろう。