昭和三十七年(一九六二)三月、弘前市営の水泳用プールが南袋町一番地一(新町坂の南側)に完成した。市が市民の体位の向上を図り、スポーツの振興に寄与しようと設置されたものである。岩木川上流にダムが建設され、水流が少なくなって遊泳場所に困難を来していた市民、ことに子どもたちは大喜びで、同年七月五日のプール開きには大人も子どもも殺到した。このプール設置をはじめとして、弘前市第二市民プール(中野三丁目六-三)、第三市民プール(八幡町二丁目五四五)などの市営プールが増設され、また、市内全小学校へのプールの設置も行われることになった。第一市民プールは、老朽化により平成十年九月三十日をもって廃止されたが、市民を水に親しませた功績は最初に建設された第一市民プールに指を屈するだろう。
水泳プールはその後、民間スポーツジムなどで屋内プールが主流となり、市民の間からも公立の施設を求める声が高まったことから、平成五年に河西体育センター、平成十五年には温水プール石川へ屋内温水プールが建設された。