昭和四十八年(一九七三)十一月二十四日付の『東奥日報』に〝暖房は四時で消す あすから-弘前庁内のケチケチ運動〟と大見出しで弘前市役所の石油危機対策が紹介された。
蛍光灯の間引き消灯はすでに実施され、二十四日からは午後四時からスチーム暖房は止める。蛍光灯は市民課窓口以外は半分に間引き、残業は一ヵ所にまとまってオーバーを着て執務、年間二五〇万円節約、室温は二〇度を超えない。ボイラーをたくのは午後四時までで一時間短縮、石油ストーブや電気コンロを全面禁止、職員のマイカー通勤に自粛を求め、庁舎中庭駐車は全面禁止、公用車による管外出張を認めず汽車またはバスを利用させ、公用車の使用は係長だったのを課長権限にする。
印刷物は両面使用を原則とし、枚数も厳格にチェックする。各課に古新聞、印刷物などを集める回収箱を置き、再生できるものは細かく利用するよう心がける。電気代を含め〝ケチケチ運動〟で約一〇%の経費を節減できる-とは管理部のソロバンだ、というものである。
この弘前市役所にみられる事態は、田中角栄内閣の『列島改造論』に象徴される積極財政で引き起こされていた物価騰貴が、石油危機を引き金とする売り惜しみや便乗値上げによって消費者パニックとなり、政府がマイカーの自粛、企業の石油・電力消費の一〇%削減をはじめとする石油緊急対策要綱を出したことに対応したものである。