弘前ねぷたの重要無形文化財指定

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弘前市のねぷたは、今では春のさくらまつりとならび市の最大名物となっている。そして常に青森ねぶたと比較され、人々の関心を呼んでいる。昭和五十四年(一九七九)十二月七日、文化財保護審議会は、弘前ねぷたと青森ねぶたを文化庁の重要無形民俗文化財に指定した。県内では同年の二月三日に八戸のえんぶりが指定されたのに次ぎ、三件目である。地元民の素朴な祭り行事で始まり、喧嘩ねぷたといわれ、かつては当局から禁止令も出された「ねた」と「ねた」である。弘前と青森のライバル意識を煽るような名称の微妙な違いもあり、毎年多くの観光客と地元民の間で、好き嫌いや優劣を競い合っている。これに加えて五所川原の立佞武多(たちねぷた)も両者に肉薄する勢いを示している。改めてねぷたが青森県を代表とする祭り行事であることを示していよう。
 重要無形文化財の指定を受けたことは、ねぷたやねぶたが全国的に存在を知られ、その伝統を受け継いでいく必要性があることを意味している。弘前市にとっても、ねぷたが全国レベルでの文化財として認められたことは郷土の誇りであった。そしてねぷたの維持・管理・保存に、国からの補助などで利点もあったが、一方、国の一定の監督指導を受けることとなり、もともと地域の祭りだった独自性が失われる可能性もあった。こうした傾向は年々大きく派手になる青森市のねぶたに強く表れていた。費用の潤沢な企業ねぶたが青森市のねぶたの特徴となっているが、それは当然地域色よりも企業色を打ち出すことになる。けれども弘前市のねぷたは町会が運営し、町会ごとに個性を引き出している点に特徴があった。