解題・説明
|
『唐詩選(とうしせん)』は7巻からなり、明代に、唐代に詠まれた詩を465首選び(作者は128人)、漢詩の形態から、五言古詩(ごごんこし)・七言古詩(しちごんこし)・五言律詩(ごごんりっし)・五言排律(ごごんはいりつ)・七言律詩(しちごんりっし)・五言絶句(ごごんぜっく)・七言絶句(しちごんぜっく)の順に分類したものである。明の文人で、古典主義文学運動(古文辞派(こぶんじは))の担い手であった李攀龍(りはんりょう)(1514―1570)が編纂したとされたが、清代に編纂された漢籍の叢書である『四庫全書(しこぜんしょ)』に掲載あるいは言及された書物について、作者や内容、価値などを記した『四庫全書総目提要(しこぜんしょそうもくていよう)』で、李攀龍が歴代の詩を選び、友人の王世貞(おうせいてい)(1526~1590)がそれを補った『古今詩刪(ここんしさん)』という漢詩のアンソロジーから、唐の部分の詩だけを抜き出したものを、李攀龍編と書肆が偽ったものと断定された。中国ではこの説が広まると、それまで盛んに流行していたものが読まれなくなったという。 一方日本においては、『唐詩選』の評価が高く、正徳(しょうとく)(1711~1716)・享保(1716~1736)年間に、荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666~1728)とその門下がこの書を重んじ、特に服部南郭(はっとりなんかく)(1683~1759)が家塾の教科書として翻刻出版してから、世間に広まった。 この『唐詩選』は、弘前藩の藩校「稽古館(けいこかん)」が出版したもので、上下二冊からなる。服元喬こと服部南郭の附言を付していることから、服部南郭の刊行したものを用いて版を起こしたことがわかる。江戸時代、諸藩が設置した藩校は、藩政を担う人材の育成だけではなく、藩士・領民の教化も大きな目的であった。その目的を達するために、藩校には編輯・出版の機関が置かれることも多かった。藩・大名の援助により出版された書物を「藩版(はんぱん)」というが、特に藩校名義で開版されたものを「藩校版(はんこうばん)」と称することがある。稽古館で刊行された書籍は、まさに「藩版」「藩校版」にあたり、特に稽古館本(けいこかんぼん)とか稽古館版(けいこかんばん)という。 書物を藩校が出版する趣旨は、別稿(「稽古館本」を参照されたい)で述べた通り、いくつか存在するが、『唐詩選』を稽古館が出版したのは、基本的には、使用する教科書を出版し教科書の自給自足を目的としたもので、それによって学問の普及を図るとともに、思想統一を図るためのものでもあった。「学官及び生徒に頒与するも売却営利せしに非るなり」(『日本教育史資料』)とあるように、教官・学生の購入の便を図るため、廉価で販売された。例えば、万延元年(1860)の稽古館本『唐詩選』の価格は7匁で、比較のために当時の弘前の物価を記すと、米1俵は55匁余、大豆1俵は35匁余、酒1升は2匁6分余、白米1升が1匁4分余であった。(千葉一大) 【参考文献】 『日本教育史資料』壱(文部省総務局、1890年) 笠井助治『近世藩校における出版書の研究』(吉川弘文館、1962年)
|