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タイトル 「軍都」広島
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タイトルに関する注記 “军事之都”广岛 / “군도(軍都)” 히로시마
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解題・説明 廃藩置県後、明治政府は士族の不平や不満を抑えるため、1873年に全国に6軍管6鎮台の制度を設け、広島に第5軍管広島鎮台を置いた。その後、大陸への軍事侵攻が国策となったことから、明治政府は軍事施設を整備し、強力な軍隊を育成するために軍の近代化と兵制の改革に着手した。1888年に鎮台を改組して師団を結成、広島には第5師団が置かれることになった。
広島は日清戦争が始まる1894年8月直前に宇品港の整備が完了し、しかも山陽鉄道が延伸していたことから、開戦直後に広島駅と宇品港を結ぶ軍用鉄道(後の国鉄宇品線)が敷かれ、日清戦争の最前線基地となった。広島城内の第5師団司令部に戦争を指揮する大本営が設置され、明治天皇が広島に移り住み、急遽建てられた仮議事堂で臨時帝国議会が開催されるなど、広島はさながら臨時首都の様相を呈した。明治天皇が日清講話条約調印後の1896年5月30日まで広島で戦争の指揮を執った。このことをきっかけに広島は、「軍都」と呼ばれるようになる。
その後、広島に派兵拠点として陸軍運輸部や兵器の購入、保管、支給、修理を行う兵器廠、陸軍兵士の軍服、軍靴の製造・貯蔵を行う被服廠、兵士の食糧の調達、保管、牛肉缶詰の製造を行う糧秣廠の三支廠が次々と増設された。広島の近郊都市の呉がほぼ同時期に海軍の一大拠点として発展したことも、「軍都」広島の名を広めることに寄与した。呉には1889年に呉鎮守府と造船部が置かれ、1903年には呉海軍工廠へと組織替えし、呉は大日本帝国の最先端の軍艦の研究・開発、製造拠点となった。さらに、呉の東側に位置する広に1921年に海軍の戦闘機の開発を担った呉海軍工廠広支廠(後に広海軍工廠として独立)が設置され、当時のハイテク産業の最先端である航空機の開発を担った。こうして広島と呉を中心に、陸海軍の有数の拠点として整備された「軍都」広島は、大日本帝国対外侵出の陸海軍の一大拠点となったのである。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
アーカイブ 広島平和研究所
原本資料の所在地
資料番号 GJ0022
管理記号 GJ02050
カテゴリ区分 ウェブコンテンツ
資料種別 ウェブコンテンツ
資料分類(大分類) 広島で調べる
資料分類(中分類) 戦争を調べる
資料分類(小分類)
文化財情報
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キーバリューID 参照データID
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関連画像URL 〈1〉広島国会議事堂の図(広島市立中央図書館所蔵)
〈2〉広島大本営跡
自治体史掲載
出典・関連資料 広島市立大学広島平和研究所編(2025)『ヒロシマ調査・研究入門ー原爆被害を調べる人のためのガイドブック』
翻訳の言語
作成者 広島平和研究所
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
権利関係・二次利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記 〈1〉広島市立中央図書館所蔵
〈2〉広島市立大学広島平和研究所所蔵
緯度・経度・高度に関する注記
更新日 2026.3.3
DOI
既刊カタログ目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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