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目録ID mp001110-100030
タイトル 伊賀国上野城破損之覚
タイトル(カナ) イガノクニ ウエノジョウ ハソンノオボエ
タイトル(ローマ字) Iga no kuni Ueno jo hason no oboe
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 藤堂和泉守
作成者(カナ) トウドウイズミノカミ
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 安政2年(1855)
製作年終
数量 1幅
形状
大きさ
大きさ(縦) 103.8cm
大きさ(横) 85.5cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 上野/上野城
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 藤堂藩/江戸幕府/阿部正弘/藤堂高猷
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 嘉永7年(1854)6月15日、伊賀北部を震源地とする「安政伊賀地震」が発生した。伊賀国、特に北部地域の町や村が受けた損害は甚大であったが、上野城も大きく損壊した。江戸時代において大名家が自領の城を修築する場合、事前に幕府の許可を得る必要があり、無断修築は「武家諸法度」違反として厳罰対象となった。本資料は安政2年(1855)2月、上野城修築の願書とともに幕府に提出された絵図の写である。破損箇所は朱色で示され、余白には破損状況を説明する書き込みが施されている。藤堂藩は過去数度にわたり上野城の修築許可申請をしているが、この時ほど修築箇所の多い事例はない。申請の翌月、阿部正弘ら老中5名は連署奉書を発給し、修築を認可した。藤堂藩は被災地の復旧や被災者の救済を進めつつ、伊賀統治の中心である上野城の修復にも取り組んだのである。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀文化産業協会
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 地図
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定文化財
manifest.jsonへのURL
参照データ
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自治体史掲載 『伊賀市史』第2巻口絵・453~477p/『上野市史』自然編204~206p
出版物・関連資料 『上野城史』95~98p/『伊賀上野城史』311~318p/『絵図からみた上野城』82~84p
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
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デジタル化の経緯に関する注記
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