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目録ID mp001470-100030
文書名 上柘植村ゟ差上ル書付控
文書名(カナ) カミツゲムラヨリサシアグルカキツケ ヒカエ
文書名(ローマ字) Kamitsuge mura yori sashiaguru kakitsuke hikae
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 上柘植村
差出・作成者(カナ) カミツゲムラ
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 明治3年(1870)
作成年終
数量 1冊
形状 冊子
寸法
寸法(縦) 24.9cm
寸法(横) 17.7cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 北打山/倉部山/余野/上柘植/和田/五反田/倉部/東柘植/近江国
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 津藩/伊賀惣国一揆/甲賀郡中惣/藤堂藩/大津県
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 明治3年(1870)、伊賀国上柘植村と近江国和田・五反田村との間で国境争論(山論)が起きた。両国の境に位置する北打山(和田・五反田村は倉部山と呼称)は芝草を刈り取るなど、3ヶ村それぞれが利用できる立会山であるが、その境界をめぐり両者が争ったのである。この争論は、数百年にわたり断続的に起きている。資料上の初発は天正元年(1573)の争論であり、この時は伊賀惣国一揆と甲賀郡中惣が裁定を下したが、その後も慶長11年(1606)・寛永18年(1641)・慶安3年(1650)に争論が起きている。また、延宝6年(1678)の彦根藩による幕領検地、元禄年間(1688~1704)と天保年間(1830~1844)の国絵図作成の際には国境線の再設定や再確認がなされている。明治3年の山論において、双方は津藩・大津県の役人の立ち会いのもと、関連する古文書や古記録を持ち出して自らの正当性を主張した。本資料はこの争論に際して上柘植村が提出した書類の控であり、上柘植村が何を根拠として争論に臨んだかがわかる内容である。同時期に作成された「和田五反田村ゟ差出ス書付写」(北打山山論文書)と読み比べると争点がより鮮明になると思われる。なお、この争論は同年中に解決せず、翌年まで持ち越されることとなるが、結審まで双方とも北打山の利用は差し止められていた。しかし、それでは農業に支障をきたすということで、津藩・大津県の役人に願い出た上で、同4年2月、双方が節度ある利用をするという協定が結ばれている(上柘植文書「論中議定書之事」)。争論は同9年の太政官布告を経て、同40年6月2日の協定により最終的な解決をした。北打山は東柘植村(同22年に上柘植村・野村・中柘植村・上村が合併して発足)が所有することとなったのである。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料-北打山山論文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定文化財
IIIFマニフェストURL
参照データ
関連ページURL
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自治体史掲載 『伊賀市史』第1巻813・865~866p/『伊賀市史』第2巻440~442・449~452p/『伊賀市史』第4巻752~755・830・835~836p/『伊賀市史』第5巻691~696p/『伊賀市史』第6巻79~80・346~355p/『伊賀町史』338~345p
出版物・関連資料 『三重県史』資料編近世1 120~123・574~577p/『三重県史』通史編中世838~840p/『甲賀市史』第2巻254~255・312~313p/『甲賀市史』第3巻283・300p
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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