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目録ID mp001490-100030
文書名 六角承禎書状写
文書名(カナ) ロッカクジョウテイ ショジョウ ウツシ
文書名(ローマ字) ROKKAKU Jotei shojo utsushi
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 承禎
差出・作成者(カナ) ジョウテイ
差出・作成者(ローマ字)
宛所 友田山内
宛所(カナ) トモダヤマウチ
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 永禄11年(1568)
作成年終
数量 1通
形状 一紙
寸法
寸法(縦) 13.9cm
寸法(横) 40.0cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 音羽/近江国/蒲生郡/甲賀郡/観音寺城
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 織田信長/友田山内/六角承禎/六角義治/繁岡/伊賀衆
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 永禄11年(1568)9月、織田信長は上洛のため岐阜を進発し、近江国の六角氏を攻撃した。同6年の観音寺騒動で弱体化していた六角氏にこれを食い止める力は無く、六角承禎(義賢)・義治父子は同国蒲生郡の観音寺城から退去、同国甲賀郡を経て北伊賀の音羽郷に落ち延びることとなった。本資料は父子の逃亡を手助けした伊賀衆、友田山内氏に対する感謝の意を表した書状の写である。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料-六角承禎書状知行宛行状
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定文化財
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参照データ
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自治体史掲載 『伊賀市史』第1巻799~801・805~806p/『伊賀市史』第4巻745・757~758p/『大山田村史』上巻434~437p/『島ヶ原村史』90~91p
出版物・関連資料 『伊賀史叢考』252~254p/『三重県史』資料編近世1 115~116p/『阿山町の古文書資料』第二集95p/『甲賀市史』第2巻264・266~267p/『近江八幡の歴史』第6巻200~201・280~281p
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権利関係・利用条件
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DOI
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デジタル化の経緯に関する注記
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