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目録ID mp001510-100030
文書名 六角承禎知行目録写
文書名(カナ) ロッカクジョウテイ チギョウモクロク ウツシ
文書名(ローマ字) ROKKAKU Jotei chigyo mokuroku utsushi
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所 河合山内
宛所(カナ) カワイヤマウチ
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 天正元年(1573)
作成年終
数量 1通
形状 一紙
寸法
寸法(縦) 14.1cm
寸法(横) 40.1cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 近江国/甲賀郡/蒲生郡/大塚村/石部城
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 河合山内/山内宗俊/六角承禎/六角義治/大塚内介/大塚次兵衛尉/大塚一介/甲賀衆/伊賀衆
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 天正元年(1573)の織田軍の近江国甲賀郡侵攻に際し、六角承禎(義賢)・義治父子は現地の甲賀衆および北伊賀の国衆とともに同郡の石部城に籠もった。北伊賀の国衆の一人である河合山内(山内宗俊)は、この戦いで活躍し、その恩賞として加増された(近江国蒲生郡大塚村)。本資料は、その目録の写である。なお、本資料宛名「河合山内殿」の右にある「表家」は異筆であると思われる。このほか、端裏書などに「江州 大塚村を領ス」「知行目録 河合啓介」との文言があるが、後世の書き込みであろう。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料-六角承禎書状知行宛行状
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定文化財
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参照データ
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自治体史掲載 『伊賀市史』第1巻812~814p/『伊賀市史』第4巻751・757~758p/『大山田村史』上巻434~437p/『島ヶ原村史』90~91p
出版物・関連資料 『伊賀史叢考』252~254p/『三重県史』資料編近世1 117~118p/『阿山町の古文書資料』第二集97p/『甲賀郡志』下巻1095~1096p/『甲賀市史』第2巻272~274p
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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