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目録ID mp001530-100030
文書名 六角承禎書状写
文書名(カナ) ロッカクジョウテイ ショジョウ ウツシ
文書名(ローマ字) ROKKAKU Jotei shojo utsushi
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 承禎
差出・作成者(カナ) ジョウテイ
差出・作成者(ローマ字)
宛所 竹内下総守
宛所(カナ) タケウチ シモウサノカミ
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年
作成年終
数量 1通
形状 一紙
寸法
寸法(縦) 24.7cm
寸法(横) 39.8cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 山城国/蓼倉庄
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 六角承禎/松永久秀/竹内下総守/竹内秀勝/磯谷新右衛門
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 伊藤某の知行である山城国蓼倉庄の年貢(所務)が収められたことについて祝い、今後のことを頼む書状である。宛先の竹内下総守を松永久秀の家臣である竹内秀勝とすると、六角義賢が出家して承禎となった弘治3年(1557)以降、織田信長の攻撃により本拠地を失う永禄11年(1568)9月以前の書状であると推察される。なお、この書状を竹内に届けた磯谷新右衛門が何者であるかは不明である。しかし、天文年間(1532~1555)に作成された「一宮頭役次第」(木津家文書)で「磯屋」姓が確認できることに加え、弘化2年(1845)の無足人帳、安政2年(1855)の無足人由緒書(いずれも藤堂家文書)には玉瀧村に「磯矢」姓の無足人がいた旨が記されている。このほか、「磯谷」姓、「磯矢」姓の藤堂藩士が諸史料に登場する。磯谷新右衛門が伊賀国と深い関係を持つ人物であることは間違いないものと思われる。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料-六角承禎書状知行宛行状
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 市指定文化財
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL 翻刻文を見る
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自治体史掲載 『伊賀市史』第2巻237p/『伊賀市史』第4巻733~735p/『伊賀市史』第5巻65・75・138・230・248・278・1047p
出版物・関連資料 『阿山町の古文書資料』第二集96p
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
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