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目録ID mp003260-100030
タイトル 京橋及太鼓矢倉
タイトル(カナ) キョウバシ オヨビ タイコヤグラ
タイトル(ローマ字) Kyobashi oyobi taiko yagura
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 伊賀史談会
作成者(カナ) イガシダンカイ
作成者(ローマ字)
出版・製作者 志村写真版印刷所
出版・製作者(カナ) シムラシャシンバンインサツショ
出版・製作者(ローマ字)
製作年 明治6年(1873)
製作年終
数量 1枚
形状 絵葉書
大きさ
大きさ(縦) 9.1cm
大きさ(横) 14.1cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 上野丸之内/上野城/西之丸/津
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 伊賀史談会/崇広堂/辻越後守/崇広中学校
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 上野城西側の外堀に宝永5年(1708)に架けられた京口橋を明治6年(1873)に撮影したものである。橋を渡り城内に入ると藩校崇広堂に至る。左奥(西側)の「西之丸」と呼ばれた場所には、40戸ほどの武家屋敷が並び、明治初期の避水移居事業では移住先となった。この写真の撮影後に外堀は埋め立てられ、京口橋も撤去された。橋の欄干に設けられていた擬宝珠は、津の鋳物師「辻越後守」の製作によるもので、昭和55年(1980)1月に市の文化財指定を受けている。橋の奥(北側)にみえる太鼓櫓は、現在の崇広中学校西端辺りに位置し、時を告げる太鼓が置かれていたが、明治7年に御殿とともに解体された。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 伊賀市
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別
資料分類(大分類) 郷土資料-絵葉書
資料分類(中分類) 伊賀史料葉書 第一輯
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載 『伊賀市史』第2巻327p/『伊賀市史』第3巻67~79・158~162p/『上野市史』文化財編313p
出版物・関連資料 『上野城史』46・62~64・69・71p/『伊賀上野城史』246・275・292~298・304~305p/『目で見る伊賀の100年』35p
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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