解題・説明
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筑豊炭田最大手のヤマで歴史の古い日鉄二瀬も戦後国の新しいエネルギー政策の一つで安い資源エネルギーとして登場した石油に替えることとなり、石炭政策を大幅に見直して、炭鉱を整理、多くのヤマがその対象となり、スクラップ・アンド・ビルドが進んで山の閉山が相次ぎ、労働争議が拡大しました。大手といえども安泰ではなく、日鉄、麻生、貝島、三井山野坑と次々に閉山においこまれて、ついに炭鉱とヤマの生活の存在は歴史の闇に消えて行き、今日に至っています。日本のエネルギー史を考えるとき一時代を築いた炭鉱と生活は後世にどうしても伝えなければならない大切な一ページだと思います。
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