解題・説明
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中学校卒業後、病弱と聴力障がいのため就職できず、昭和30年(1955)春頃より、日雇い労働、飯塚市内のプリント店、西町の映画看板店、新聞店などに勤務していました。 昭和25~33年(1950~58)頃の日鉄二瀬鉱業所を中心とした穂波、飯塚(特に枝国、潤野地区)を木村の記憶と若干の資料をもとに描かれたものです。 木村は聴覚障害のハンディキャップがありましたが、精力的に数多くの作品を書き続けました。 炭鉱の様子、炭住の風景など細部に至るまで忠実に描写され、絵画としてだけでなく、炭鉱の資料としても大変貴重な作品です。
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