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目録ID mp000008-100020
タイトル 仁田四郎猪退治の図
タイトル(カナ) ニッタシロウイノシシタイジノズ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 雲溪・玉仙合作
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者 今治市教育委員会
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 平成8年(1996)
製作年終
数量 1枚
形状 はがき
大きさ
大きさ(縦) 11cm
大きさ(横) 15cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 今治市
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 高部厳島神社
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 対額 年代:萬延元(1860)年 雲溪八十一歳 大きさ:159×180 山本雲溪:文久元(1861)年没 山本雲溪は越智郡大井村に生る。幼名を雲平と称し、邑清と号す。祖は河野氏。父平治右衛門大井村の里正たりしが、今治風早町に移居、醫を以て藩に仕う。雲溪後浪速に遊び画を森狙仙に学ぶ。帰来藩の絵師となる。特に動物画に長じ師狙仙の筆と酷似す。人となり恬淡、磊落、言動常人の意表に出ず。沖冠岳も其の始は雲溪を師とす。画室を月光堂と呼び頼山陽とも交あり。讃岐琴平神社奉納の大額をはじめ、厳島及附近社寺には其の大作尠なからず。文久元年五月二十八日歿す。年八十二、今治市北新町神供寺に葬る(昭和六年十二月 日吉観音寺に改葬)「壽照雲溪居士」と諡す。二男四女あり。松柏醫を以て家を継ぎ、画家玉仙女史は分家し、他は皆夭折す。号は雲溪のほか、好徳、月峯斎、雲平、邑清、月峯主人、月光堂などがある。 山本玉仙(英):玉仙は天保十二年九月十五日に雲溪の末女として生まれ、名を節といった。清月亭、清月園を号とし、父に画法を学んで画技に長じ、明治四十年六十七歳で没した。画は親しく父の指導を受け、生花は父及兄の松柏に習い、茶道は丹下喜太夫に就て、石州流を学び、生花は青山流であって其技妙絶、慶応元年(二十八歳)召されて藩主久松定弘に生花を教授した程である。明治三十年十二月、其家元より、青山御流生花大日本総会頭たるの允可を受けた。明治三十年九月、図画教師として県立今治高等女学校に聘せられ、数年其職を奉じた。玉仙は今治の人佐伯惟政(神職)に嫁し、二男を挙げたが、後故あって実家に帰り、再び山本氏を冒した。初め、天保山墓地に葬ったが、後改葬して、今治市営大谷墓地に移した。 参考文献:【「今治地方の絵馬」矢野徹志著『今治史談 昭和52年10月2日』今治史談会発行】【『政治経済と教育 資料集 近・現代Ⅰ 今治郷土史 第六巻』今治郷土史編さん委員会編 今治市役所発行 平成2年】【『絵馬より見た今治藩絵師山本雲溪』近藤福太郎編 大西史談会発行 1998年】【『小児科の名医猿画の大家 山本雲溪』秋山英一著 「雲溪伝」刊行会 昭和36年】 高部厳島神社:今治市高部字家ノ下甲837番地
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 今治市立中央図書館
原資料の所在地 今治市立中央図書館
資料番号 10497378
管理記号 K387/イマ
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵馬
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類) 今治の文化財 絵馬
文化財情報
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自治体史掲載
出版物・関連資料
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権利関係・利用条件
原資料の利用条件
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デジタル化の経緯に関する注記
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