解題・説明
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今治市指定有形文化財(昭和六十二年一月七日指定) 伝土佐権守経隆筆・狩野探幽写 2巻 天地34.3cm 上巻長さ6.28m 下巻長さ11.81m 【はがき場面説明】桜咲く八王子。吉野から熊野詣を思い立ち、有名な九十九王子を道すがら巡拝した。深山の朱塗りの社殿や山桜にひとときを慰められる。 【土佐権守経隆(土佐経隆)】土佐宗家の画家、始め春日有房と称す。藤原光長の男、画所預となり従五位下に叙し土佐権守に任ぜらる。また、中務大輔に転ず。画法を父に学びて、仏像並びに菅公の像を能くす。猶ほ研究して卒に丹青の妙を得、巧に春日曼荼羅等を画きて、名声益々高し。此の人に至りて、始めて南都を去り、京師に住し、春日を改めて土佐と称す。建仁年中(一説に建長年中とあり)南殿の賢聖障子を画く寛喜中の人、遺蹟著名のものは聖賢の人物(残缼)、菅神、文殊、紀州那智山水中屏風西行物語、雪見御幸、愛染明王、鞍馬縁起、太子画伝、小図巻物、白山権現本尊、春日曼荼羅並びに宮曼荼羅とす。 参考文献:『私の今治市へ寄附したる文化財総覧 中巻 河野信一編 恒春閣 昭和46年』 【狩野探幽】狩野派の画家、狩野家中興の祖、孝信の長男、名は守信、幼名は四郎次郎と称す。又、采女ともいい、剃髪して探幽斎、又、白蓮子と号す。寛永二年に、画家として最高の宮内卿法印に叙せられる。数々の名品を遺して、延宝二年十月七日没す。年七十三。 参考文献:『私の今治市へ寄附したる文化財総覧 上巻 河野信一編 恒春閣 昭和46年』『書画骨董人名大辞典 常石英明著 金園社 昭和50年』
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