水海道市史 上/下 年表

/ 29ページ
No 時代 年月日表記 西暦 できごと 出典 関連 備考
1 旧石器時代(先土器文化)年 敲打器・刃器・尖頭器・細石器の石器文化が発達する 39
2 旧石器時代(先土器文化)年 守谷町郷州原遺跡・結城市才光寺遺跡 41
42
3 旧石器時代(先土器文化)年 水海道市内守谷町(北梅向前)出土ナイフ形石器?
4 縄文時代(縄文文化)(早期)年 尖底・深鉢・押圧による施文や廻転による撚糸文の土器が発達し、石鏃・石槍等が用いられる 41
43
5 縄文時代(縄文文化)(早期)年 内守谷・長之入出土土器 43
6 縄文時代(縄文文化)(早期)年 下花島・花島貝塚 12
41
72
72
7 縄文時代(縄文文化)(早期)年 大輪・築地貝塚 12
41
72
78
8 縄文時代(縄文文化)(前期)年 縄文施文、平底の土器が発達し、大生郷遺跡(隠滅)に見られるような円形・方形の堅穴住居が営まれる 104
9 縄文時代(縄文文化)(前期)年 下花島・花島貝塚、豊岡・横曽根貝塚 12
41
72
72
98
10 縄文時代(縄文文化)(前期)年 上花島・花島遺跡 72
76
11 縄文時代(縄文文化)(前期)年 坂手・日之王神遺跡 72
12 縄文時代(縄文文化)(前期)年 大生郷・上新田遺跡、大生郷・大生郷遺跡 72
104
104
13 縄文時代(縄文文化)(中期)年 大型厚手の土器や広口のカメ等つくられ、施文は隆起した立体的な意匠をもつ。集落も拡大され生活用具(石器・土器)も多種に及ぶ 43
14 縄文時代(縄文文化)(中期)年 大輪・築地遺跡 43
72
78
15 縄文時代(縄文文化)(中期)年 坂手・貝置遺跡 72
16 縄文時代(縄文文化)(中期)年 内守谷・向地遺跡 72
17 縄文時代(縄文文化)(中期)年 菅生・古谷遺跡 72
18 縄文時代(縄文文化)(後期)年 埦・皿・高坏・注口土器等つくられ、施文は磨消縄文の手法をとり入れた精選土器と簡単な粗製土器とに分かれる。定住生活もつづくようになり大規模な貝塚が形成される 43
19 縄文時代(縄文文化)(後期)年 大輪・築地貝塚・大日山貝塚・満蔵A遺跡 12
41
72
78
79
20 縄文時代(縄文文化)(後期)年 大生郷・大生郷貝塚・上口A遺跡・上口B遺跡・内久根遺跡 12
41
72
99
21 縄文時代(縄文文化)(後期)年 内守谷・館ノ台遺跡 72
22 縄文時代(縄文文化)(後期)年 菅生・古谷遺跡 72
23 縄文時代(縄文文化)(晩期)年 工芸品的な土器が発達し、集落も低地にも営まれるようになる。市内にはこの時期の遺跡はきわめて少ない 43
24 縄文時代(縄文文化)(晩期)年 大輪・築地遺跡 43
72
78
25 弥生時代(弥生文化)(前期)年 北九州に稲作の技術が普及し弥生式土器が発達する。この時期、東日本ではこの影響は見られず縄文最終末の文化が引きつがれた 48
26 弥生時代(弥生文化)(中期)年 この時期、北関東に弥生文化の波及を示す岩櫃山式土器、須和田式土器が出現するが、水海道市では今のところ確認されていない
27 弥生時代(弥生文化)(中期)年 下館市女方遺跡 51
28 弥生時代(弥生文化)(後期)年 100 この時期になると水海道市にも弥生文化の影響が現われ土器片などの散布が見られるが住居址などの確証はない 51
29 弥生時代(弥生文化)(後期)年 100 菅生・上野A遺跡・原遺跡
30 弥生時代(弥生文化)(後期)年 100 豊岡・谷津遺跡
31 弥生時代(弥生文化)(後期)年 100 内守谷・長之入出土土器
32 古墳時代(前期)年 300 畿内で四世紀中頃に発展した古墳文化が東日本に波及し、常総地方にも五領式の土器が現れる
33 古墳時代(前期)年 300 花島・上花島遺跡
34 古墳時代(前期)年 300 内守谷・本郷遺跡 79
35 古墳時代(中期)年 400 常総地方にも出現期の古墳(前方後方墳)が現れる 56
36 古墳時代(中期)年 400 筑波町・山木古墳 56
37 古墳時代(中期)年 400 八郷町・丸山古墳 56
38 古墳時代(後期)年 500 常総地方に巨大古墳が築造され地方豪族の台頭が顕著となる。政治の中心地域が形成される 59
39 古墳時代(後期)年 500 下館市・徳持古墳 59
40 古墳時代(後期)年 500 大穂町・夫婦塚古墳 59
41 古墳時代(終末期)年 600 石岡市・舟塚山古墳 59
42 古墳時代(終末期)年 600 畿内においては前方後円墳の築造は衰退の一途をたどるがこのころ東日本では前方後円墳を中核として有力古墳群築造され横穴式石室箱式石棺が墓制として登場する 59
43 古墳時代(終末期)年 600 玉造町・三昧塚古墳
44 古墳時代(終末期)年 600 玉里村・舟塚古墳 59
45 古墳時代(終末期)年 600 出島村・稲荷山古墳 59
46 古墳時代(終末期)年 600 八郷盆地から筑波西麓、小貝・鬼怒川流域から千葉県北部にかけて追葬・合葬方式をとる変則的古墳が築造される 65
47 古墳時代(終末期)年 600 羽生・七塚古墳群 坂手・剣崎古墳群 72
87
87
48 古墳時代(終末期)年 600 下花島・花島古墳群 大塚戸・篠山古墳群 豊岡・豊岡古墳 72
77
83
99
49 大化1年 645 大化改新以前は、箱根から東方は「我姫の国」と呼ばれ改新以後、下総・常陸等八か国に分かれる 108
50 慶雲1年 704 常陸国司、鍛冶佐備大麻呂を率いて常陸・下総国境若松の浦の鉄を採りて剣をつくる「常陸風土記」
/ 29ページ