石下町史 年表

/ 12ページ
No 時代 年月日表記 西暦 できごと 出典 関連 備考
1 前50000年 リス間氷期 火山活動が活発し、ローム層が形成される
2 前23000年 敲打器文化時 石核石器使用
3 前12000年 小型石刃文化時 小型石槍がつくられる
4 前10000年 気候が温暖化にむかい照葉樹の植生ひろがる 土器、弓矢の使用はじまる
5 縄文期早期/前8000年 尖底土器が多く撚糸文波線文条痕文などが施文される 貝塚が形成される 国生北山、蔵持稲荷山、古間木入遺跡存する 66
6 縄文期前期/前4000年 海水の浸入が最高潮に達する 干潟が形成される 複雑な縄文の施文が盛行す集落も形成され始まる 鴻野山、崎房貝塚等遺跡各地に散在する 43
68
70
7 縄文期中期/前2000年 海退はじまる 土器は大型化豪放的なものに変化し、石器の種類も増加 注口付土器が出現し、鬼怒川流域の地区に遺跡散在する 43
52
67
8 縄文期後期/前1000年 土器薄手になり磨消縄文を施す、製塩土器石棒土製耳飾土偶などみられる 狩猟漁撈採集活動が発生し小海進がある 古間木地区中心に遺跡散在す 43
47
67
9 縄文期晩期/前500年 縄文文化が衰退し、稲作農耕が東に伝わる 21
49
10 弥生期前期/前300~100年 稲作農耕が次第に発達し、集落の形成がみられ、隅丸方形 隅丸長方形床面のほぼ中央部に炉、土器棺墓、縄文土器の伝統の濃い土器がみられる(馬場堤下遺跡) 73
79
11 弥生期中期/前100~年 稲作が伝播する、大型有肩石鏃、石包丁様石器使用する 82
12 弥生期中期/前100~年 大形蛤刃石斧などの農工具がつくられる
13 弥生期後期/250~300年 円形・方形の竪穴式住居に住む 銅鏃の出土がみられる 83
14 弥生期後期/250~300年 畿内に前方後円墳が出現したといわれる
15 弥生期後期/250~300年 弥生期遺物は小数であるが、縄文時代より平安時代にわたる複合遺跡として、国生本屋敷遺跡が存在する 79
16 古墳前期年 300 常総地方にも古墳文化が波及する 85
17 古墳中期年 400 常総地方にも前方後方墳が現われる
18 古墳後期年 500 常総地方にも巨大古墳が築かれ、地方豪族の台頭がみられる 32
85
97
19 古墳後期年 500 地方政治の中心地域が形成される 98
20 古墳終末期年 600 前方後円墳を中核として古墳群が築かれる 神子埋六十六塚・杉山十三塚・鴻野山御林・崎房香取・馬場・国生東山塚等 21
32
85
21 大化元年 645 初めて年号を定める 総の国を上総・下総の二国に分つ 利根川以北を結城国とし、後、結城郡という のち南部を別けて岡田郡を置かれる 22
100
22 和銅6年 713 風土記出される 嘉字をもちいて石毛と定めるという
23 天平勝宝7年 755 常陸・下総国の防人ら歌をつくる この頃万葉集編纂される 108
24 神護景雲2年 768 毛野川河道改修 下総国結城郡小塩郷小嶋村から、常陸国新治郡川曲郷受津村まで、毛野川一千丈を開疎す 116
25 宝亀3年 772 下総介桑原王、岡田郡国生に桑原神社を創建す(延喜式内社) 103
314
26 天応元年 781 富士山大噴火、後1707年迄一〇数回に及ぶという
27 天長3年 826 常陸・上総・上野の三国、親王任国となる 131
28 嘉祥元年 848 上総国俘囚反乱を起す 130
29 貞観17年 875 下総・下野両国の俘囚反乱を起す 130
30 元慶7年 883 上総国俘囚反乱を起す 130
31 寛平元年 889 高望王、平朝臣の姓を賜わり上総介となり、上総国に下るという 130
32 昌泰2年 899 僦馬の対策として、足柄・碓氷両関を設置する 130
33 延喜4年 904 下総国岡田郡を改めて、豊田郡とする 22
34 延長7年 929 常陸羽鳥の地より、豊田郡大生郷の地に菅原天神を遷し祀るという 127
35 承平元年 931 平将門、伯父平良兼と隙を生ず
36 承平5年2日 935 2日、平将門常陸野本で源扶等に要撃され、平国香を石田に攻め殺す 145
37 承平6年 936 平将門、下野国庁附近で平良兼と戦いこれを破り、良兼を逃れさせる 146
38 承平7年 937 平将門、京に召喚されるも、恩詔により郷里豊田郡に帰る 146
39 承平7年 937 平将門、子飼の渡の戦で良兼軍に破れ、常羽御廐、豊田領内等を焼かれる その後良兼と筑波弓袋山・石井営所等での戦をくりかえすもよく撃退する 147
40 承平8年 938 平将門、京に上る平貞盛を追い信濃国千曲川に戦う 148
41 天慶2年 939 平将門、藤原玄明の訴により常陸国府に赴き、国の印と鎰を奪う 149
42 天慶2年 939 平将門、上野国府において新皇と称し、やがて坂東諸国の国司を任命する 149
43 天慶3年2月14日 940/2/14 2月14日平将門、平貞盛・藤原秀郷等に攻められ、石井の地で戦死する 150
44 長元元年6月 1028/6 6月前上総介平忠常反乱を起こす 152
45 長元元年9月9日 1028/9/9 9月9日鐘林宮黒須大学が常陸一の宮鹿島大神を、若宮戸に祀るという
46 長元3年 1030 平忠常再び安房に侵入する 源頼信と坂東諸国司に追討を勅す 153
47 長元3年 1030 平維幹、平忠常の乱の追討軍に加わるという 153
48 永承年中年 この頃、常陸大掾多気太郎平重幹の第三子政幹、(石毛荒四郎、赤須四郎)豊田郡若宮戸に住す 161
167
49 康平5年 1062 平政幹、前九年の役に源義家に従い、豊田郡を賜わり名を豊田四郎平政基(将基)と改め、豊田氏ここに興る 273
50 天仁2年 1109 この頃千代川村宗任神社創祀されると伝う 317
/ 12ページ