初めてラグビーが採用されたバンコク大会で
日本は惜敗
1998年12月4日から19日にかけて、
タイのバンコクで第13回アジア競技大会が開催され、この大会からラグビーが正式種目として採用された。
大会は7人制と15人制の2種目に渡って行われたが、平尾誠二監督率いる
日本代表は、7人制の部では
韓国に14-29で敗れ、15人制でも17-21でやはり
韓国に惜敗した。
平尾監督は当時の機関誌の中で、「五輪マークをつけての初めてラグビーチーム編成だったが、選手たちは10月の
ワールドカップ・アジア地区予選(シンガポール)から帰国後、いったん自分の所属チームに戻った後、ふたたびこのアジア競技大会へ向けてコンデイションやモチベーションを合わせていくことは容易ではなかっただろう。しかし、今回の経験は必ずやW杯本大会に生かされると確信している」と語っている。
つづく釜山大会でも
日本は苦戦
バンコク大会から4年、2002年の9月30日から10月13日にかけて、第14回アジア競技大会が
韓国の釜山で開催された。今回は向井ジャパンだ。ただし、この時も
ワールドカップ・アジア地区予選と重なる年で、
日本は7月に
韓国を破って、4年連続の出場を決めている。
しかし、大会前から負傷者が相次ぎ、8月末には26名をJOCに選手登録したが、9月末に
韓国入りするときには既に6人が参加できない状態になっていた。
結果は、15人制の部では決勝で
韓国に34-45で惜敗。7人制の部では、準決勝で
韓国に7-24で完敗したあと、3位決定戦では、
タイに14-17で負け、大会4位となった。
向井監督は、「
韓国、中華台北、
タイにしても、アジア競技大会に挑む代表チームを国をあげてサポートしている。
日本は
ワールドカップを重視しますが、彼らはオリンピック、アジア大会です。何に重きを置くかという部分でも、差があったように思いました」と語っている。
ドーハで、悲願の金メダル獲得
それから4年後、第15回大会は2006年12月1日から11日にかけて、カタールのドーハで開催された。そのほんの2週間前、15人制の
日本代表が、
香港で
韓国を一蹴し、
フランスワールドカップのアジア代表の座を獲得したばかりだった。
今回は、7人制だけの大会となった。佐野順監督率いる
日本代表は、「Get a Gold!」を合言葉に駒を進めて決勝に進出。もちろん相手は宿敵・
韓国だ。
前半に2トライを許して10対14でハーフタイムを迎えた。後半に入っても
韓国の猛攻は続いたが、
日本は終了間際に逆転圏内の4点差に追い上げ、そしてロスタイムに突入した。
プレーが途切れれば試合終了という中でボールを2分間ほどつなぎ、最後は山田章人(慶應義塾大学)がゴールライン右隅ギリギリに劇的な逆転トライ。27-26で
韓国を下し、アジア競技大会で初の金メダルを獲得した。
これはアジア競技会に出場した
日本選手団の中で唯一、チーム競技で獲得した金メダルとなった。