明治36年(1903)度

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5シーズン目

慶応蹴球部、体育会へ正式に加盟
 前述[明治33年度の項]の安藤復蔵の文に「このクラブに安藤復蔵、田宮弘太郎、太田真巳、宮沢恒治、村瀬末一、菅谷隆良、高橋忠松、山田又司、其他が加入して漸く形が整ったので、伊藤、猪熊、山崎、松岡等が骨を折って体育会の一部となり、蹴球部が出来上がった」と記されている。「蹴球部は剣術(現剣道)、柔術(現柔道)、野球、端艇、弓術(現弓道)、水泳の各部に続いて7番目の競技団体として体育会加盟が承認された」(『慶応100年史』P60)。初代の主将には山崎不二雄が就任した。
第2回、第3回YCAC戦の記録が確認
『慶応60年史』では、この2試合の記録は残されていなかったが、『慶応100年史』P74では「1903年12月5日、山崎不二雄キャプテン率いる慶応ラグビーが、正式に蹴球部となって初めてYCACに挑戦していたのだ。慶応義塾蹴球部にとって朗報となった、この貴重な情報の発掘者は、ラグビージャーナリストの秋山陽一氏。洋の東西を問わずラグビーの記録収集にかけては、まさに当代髄一といわれる人物である」と試合記録とメンバーが『Japan Weekly Mail』から復元できた喜びを、100年史の主筆者である遠山靖三氏が紹介している。第3回の試合は同史に「横浜のグラウンドで行われ、YCACが再び大勝。ルールに精通しているのは確かだが、彼ら[慶応のこと]には“beef”が不足している」とあるだけで、スコアもメンバーも記録されていない。
M36(1903).12.5●慶応義塾0−44YCAC
G:横浜公園R:不明第2回対戦
M37(1904).2.10●慶応義塾?−?YCAC
G:横浜公園R:不明第3回対戦

三田綱町に新運動場用地
 慶応義塾は12月28日に三田綱町に新しい運動場の用地を購入した(『慶応60年史』試合記録P1)。
第1回塾内大会
 慶応義塾で初めての塾内ラグビー大会が行われた。「1月29日午後3時から新しい綱町グラウンドで行われ、鎌田塾長、福澤太郎氏が熱心に観戦した。主審は田中銀之助、白軍が6−0で紅軍を降した」(『慶大100年史』P75)。