明治39年(1906)度

English Español

8シーズン目

YCACに4−6で惜敗、日本最初のドロップゴール
 三田綱町に初めてYCACを迎えての第7回対戦は4−6という大接戦になった。『慶応60年史』P176に、この試合7番バックローセンター[現在のNo8]を務めた田邊九萬三の記述を要約すると、「①田邊が新人で夢中に頑張ったこと。②前半15分ごろ普通部4年生[16歳]のSH宮川偕作が見事なDG[当時は4点]を決めてド偉い歓声が挙がったこと。③ノーサイド寸前まで4−3でリードしていたのに外人レフリーがなかなか笛を吹かず、遂にトライを奪われて4−6で負けた」とある。日本人初めてのDGを宮川偕作が決めたことと、田邊が悔しい思いをしたことが伝わってくる。田邊の記述は1930年9月16日に書かれたものだ。
M39(1906).11.24●慶応義塾4−6YCAC
G:三田綱町R:ミッチェル第7回対戦
M40(1907).1.26●慶応義塾0−9YCAC
G:横浜公園R:バッドソン第8回対戦