明治40年(1907)度

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9シーズン目

慶応義塾創立50周年記念塾内大会
 4月23日に慶応義塾創立50周年記念として、第6回塾内大会でラグビーが行われ、幼年組、大人組、選手組の3試合が三田綱町グラウンドで行われた。
慶応義塾蹴球部歌「白鎧鎧(はくがいがい)……」が誕生
『慶応60年史』P146にOBの安藤復蔵がこう記している。「部歌は群馬県太田市(当時はまだ小さい町であった)の芭蕉屋旅館で(太田中等へラグビーを教えるために大勢で行き、田中一貞教授も部長として同行した)作ったものです。何か部員でそろって歌えるものが欲しいという所から、老生が即座に作ったのが今の部歌です。譜は外国のものを三つばかり寄せ集めて、でっち上げたわけです(後略)」。
群馬県太田中学に日本初の中学(旧制)ラグビー部が創部
 明治40年の夏休みに慶応の竹野敬司、福島荘平両選手が群馬県の太田中学を訪問したのをきっかけに、慶応の選手が次々にコーチに出向いて指導し、新しいチームが誕生した。太田中学は慶応の塾内大会に招待され、普通部と試合するなど、慶応以外に生まれた初めてのチームとして期待されたが、残念ながら数年で消滅してしまった。
慶応義塾、KRACと定期戦を開始
 神戸レガッタ&アスレチック・クラブとの定期戦が決定、明治41年2月3日、慶応が第1回の神戸遠征を行ったが0−8で惜敗した。
M40(1907).11.30●慶応義塾3−8YCAC
G:三田綱町R:田中銀之助第9回対戦
M41(1908).2.1●慶応義塾0−30YCAC
G:三田綱町R:不明第10回対戦
M41(1908).2.3●慶応義塾0−8○KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンス第1回定期戦