明治44年(1911)度

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13シーズン目

慶応対三高日本人同士の初試合
 記念すべきこの試合は、4月8日10時30分、三田綱町グラウンドで、ウィード主審のホイッスルでキックオフ、慶応義塾が39−0で三高を下した。この試合に備えて三高は4月6日に三田綱町に出向き慶応二軍と対戦し3−3で引き分けている。この試合を日本人同士の最古の試合とする見方もあるが、本書は4月8日の正規の試合を日本人同士の初試合とした。『三高蹴球部史』P116にも4月8日の試合の項に「この三高・慶応戦は日本人チーム同士の対戦として最初のものである」と記されている。
M44(1911).4.8○慶応義塾39−0三高
G:三田綱町R:ウィード第1回定期戦

同志社にラグビー部創部
「すでに周知の如くラグビーは慶応義塾から三高へ、三高から同志社へと伝えられたとされている。同志社ではア式蹴球部員により着々と研究が進められていたが、対戦相手のないためチーム編制に至らなかったのであるが、三高の設立によりその勧誘を受けた明治44年の秋には早くも正式のチームが編成され、ア式で鍛えたキックやドリブルのわざに加えて規則正しい練習により非常に短期間で対抗試合が行えるチームができた」(『同志社ラグビー70年史』P24)と、同大はア式蹴球経験者が母体となって創部されたことが記されている。
慶応対同志社、第1回定期戦は慶応が圧勝
 現在も行われている定期戦として日本最古の慶応対同志社戦は、明治45年1月8日に三高グラウンドで行われ、24対3で慶応が圧勝した。
M45(1912).1.8○慶応義塾24−3同大
G:三高R:相馬竜雄第1回定期戦

明治時代のラグビー
 慶応義塾の明治時代の成績はYCACに2勝1分13敗、KRACとは1分3敗、三高に2勝、同大に1勝で、計5勝2分16敗の成績で、明治時代の全スケジュールを終了した。YCAC、KRACに慶応がチャレンジし続けた時代から、三高、同志社の創部があり、YCAC、KRACを加えた5チーム間で定期戦が始まっている。この時代のスケジュールを見れば日本ラグビー界の土台作りにYCAC、KRACの両チームがいかに貢献しているかがわかる。
日本体育協会創立
 現在の日本体育協会の前身である大日本体育協会が7月1日に嘉納治五郎によって創立された。日本体育協会は2011年に創立100周年を迎える。
その他の主要試合