大正5年(1916)度

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18シーズン目

復活した三高が上京
 復活した三高は以前の力を取り戻し、大正6年の正月に満を持して上京、YCACには0−11で敗れたものの、慶大には6−6と引き分けに持ち込む健闘を見せた。国内無敗の慶大と引き分けた三高は、この年のチームが最強だったと評価されている。『三高蹴球部史』P19に大正7年卒の長屋吉彦が「われらは覇者というを憚らざるものなり」と自負している。
T6(1917).1.6三高0−11YCAC
G:横浜根岸R:不明第1回定期戦
T6(1917).1.7三高6−6△慶応義塾
G:三田綱町R:高地万寿吉第4回定期戦

慶応義塾、YCACに4度目の勝利 大正5年12月18日に対戦
 朝日新聞社『運動年鑑』2巻P259「大正五年度の蹴球」の項に「我国に於ける蹴球は未だ野球、庭球の如く普遍的に行はれざるも興味ある団体競技の一として漸次勃興の機運に向かいつつあり昨五年中の重なる試合左の如し[以下括弧内(ア)はアッソシェーション式、(ラ)はラグビー式]」として慶応、横浜外人、同志社、三高、神戸外人はじめ中学の試合結果が掲載されている。ここに、『慶応三、横浜外人零(ラ)』の見出しで「十二月十八日午後二時半より横浜本牧グラウンドにて挙行後半戦廿分後、慶応眞島、矢野のパッスにて松井トライし慶応勝つ」と記されている。『慶応60年史』にも『慶応100年史』にも11月25日のYCAC8−0慶応二軍の記載があるのに、この試合の掲載がない。YCACに4勝目をあげた大事な試合がもれているのが解せないが、本書では朝日『運動年鑑』の記述には松井の決勝トライと明確な記述もあり、『慶応100年史』主筆、遠山靖三氏と検討の結果、事実と認定し第24回対戦としてこの項に加えた。
T5(1916).12.18○慶応義塾3−0YCAC
G:横浜根岸R:不明第24回対戦1)

その他の主要試合
〈関東〉
T6(1917).●慶応義塾?−?○KRAC
G:三田綱町R:不明第9回定期戦
〈関西〉
T5(1916).11.25同大0−10○KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンス第10回定期戦
T5(1916).11.28三高3−9同大
G:同大R:鈴木第6回定期戦
T5(1916).12.2三高3−10○KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンス第7回定期戦
T5(1916).12.5三高5−0同大
G:三高R:合田第7回定期戦
T5(1916).12.9同大10−6●KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンス第11回定期戦
T6(1917).1.20同大0−8○KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第12回定期戦
T6(1917).2.10三高22−3●KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第8回定期戦

1) 第24回慶応義塾対YCAC対戦として新たに挿入した。