19シーズン目
慶応義塾、関西へ遠征し同大、三高、KRACと激突前年の三高に続き、同大が第5回定期戦に3−3と初めて慶応と引き分けた。当時のチームの目標は打倒慶応である。引き分けといえど大殊勲。三高も0−3と慶応を追いつめ、打倒慶応は目前となった。慶応も奮起して10回目の対戦で初めてKRACに11−0で快勝して遠征に花を添えた。
T7(1918).1.7 | △慶応義塾 | 3−3 | △同大 |
G:同大 | R:佐伯信男 | 第5回定期戦 | |
T7(1918).1.9 | ○慶応義塾 | 3−0 | ●三高 |
G:三高 | R:佐伯信男 | 第5回定期戦 | |
T7(1918).1.12 | ○慶応義塾 | 11−0 | ●KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第10回定期戦 |
第1回日本蹴球大会開催(豊中)
現在の全国高等学校ラグビー大会の前身となった日本フートボール大会が、大阪毎日新聞の主催[ラグビー協会はまだ創立されていない]で、大正7年1月12~13日に大阪・豊中運動場で開催された。大会はア式(サッカー)とラ式(ラグビー)に分かれ、ラグビーは全慶応義塾が棄権したため三高、全同志社、京都一商の3チームが参加し、全同志社が三高に19−0、京都一商に31−0で勝って優勝した。
その他の主要試合
〈関東〉 | |||
T7(1918).1.31 | ○慶応義塾 | 3−0 | ●同大 |
G:三田綱町 | R:メース | 第6回定期戦 | |
T7(1918).2.2 | ●同大 | 0−8 | ○YCAC |
G:横浜根岸 | R:メース | 第2回定期戦 | |
〈関西〉 | |||
T6(1917).11.24 | ○三高 | 28−0 | ●KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第9回定期戦 | |
T6(1917).12.1 | ○同大 | 6−0 | ●KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第13回定期戦 | |
T7(1918).2.16 | ●三高 | 3−18 | ○KRAC |
G:神戸東遊園地 | R:スペンス | 第10回定期戦 |