大正10年(1921)度

English Español

23シーズン目

東京大学にラグビー部創部
 東大ラグビー部は三高から進んだ香山蕃が創部の中心になった。「香山は大正10年秋から創部を決意し柔道・水泳にいた郷達夫(後に久富)、端艇の郷隆、東俊郎、柔道の難波経一、陸上の加藤秀夫ら錚々たるメンバーが名を連ね、11月に創部された」(『日本ラグビー史』P94)。
京都大学ラグビー部創部
 京大ラグビーの創部は谷村敬介によってなされた。谷村氏は「京大ラグビー部の正式な創部(京都大学学友会が承認)は大正11年だが、京都一中や三高でラグビーを経験した者たちが天狗倶楽部として活動したが、京大チームと思われていたという。また一部有志が三高京大連合軍などでも試合していた」(『京大ラグビー史』P6)と以前から活動していたと記している。
 この両校は大正11年1月10日に三高グラウンドで第1回の定期戦を行い、両校とも8人FWで対戦し[日本最初のエイトFW同士の対決]東大が13−0で京大を破っている。
第5回日本蹴球大会(豊中)
 第5回大会、中学の部は慶応普通部の不参加により、同志社中と京都一商の両校のみの対戦となりいきなり決勝戦が行われ6−0で同志社中が3連覇を達成した。
 大学高専の部は三高、大阪高商、早大の3校が出場、三高が優勝した。『関西協会史』P290に「1時25分開始、観衆益々加わり蹴球界空前の人出である」とある。
その他の主要試合
〈関東〉
T10(1921).11.19早大0−41YCAC
G:横浜根岸R:不明第3回定期戦
T10(1921).11.27早大0−27YCAC
G:早大戸塚R:不明第4回定期戦
T10(1921).11.27●関東OB8−13○関西OB
G:三田綱町R:櫛山次郎第3回
〈関西〉
T10(1921).11.26三高0−6○KRAC
G:神戸東遊園地R:不明第19回定期戦
T10(1921).12.3同大5−17○KRAC1)
G:同大R:スペンス第17回定期戦
T10(1921).12.10三高6−3●KRAC
G:神戸東遊園地R:マクノーン第20回定期戦
T11(1922).1.7○慶応義塾11−0同大
G:同大R:竹上四郎第9回定期戦 注9関西14−0
T11(1922).1.9○慶応義塾14−0三高
G:三高R:大脇順路第9回定期戦
T11(1922).1.10京大0−13東大
G:三高R:竹上四郎第1回定期戦
T11(1922).1.11三高9−0東大
G:三高R:竹上四郎第1回定期戦
T11(1922).1.14●慶応義塾6−8○KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンサー第12回定期戦
T11(1922).2.4三高5−6○KRAC
G:神戸東遊園地R:マクノートン第21回定期戦
T11(1922).2.11●関東OB6−11○関西OB
G:豊中R:アブラハム第4回

1) 関西協会史による。同大ラクビー史にはこの試合の記録なし。