大正12年(1923)度

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25シーズン目

極東オリンピック大会にラグビーが参加
 第6回極東オリンピックが開催され、ラグビー競技は大阪市築港グラウンドで行われた[参加の経緯は不明]。慶応、京大同大早大関西大、大阪高商、大阪高校の7校が出場し、慶応が優勝を飾った。決勝戦は秩父宮殿下がご台臨になり、このあとラグビー協会の総裁にお迎えするきっかけになった。
T12(1923).5.22○慶應義塾26−0●大阪高商
G:大阪築港R:井上1回戦
T12(1923).5.22同大3−3京大(初対戦)
G:大阪築港R:杉本貞一1回戦
T12(1923).5.22早大39−3●大阪高
G:大阪築港R:藤本1回戦
T12(1923).5.23同大5−0京大
G:大阪築港R:杉本貞一再試合
T12(1923).5.23早大58−0関西大
G:大阪築港R:竹上四郎準決勝
T12(1923).5.25○慶應義塾27−0同大
G:大阪築港R:竹上四郎準決勝
T12(1923).5.27○慶應義塾11−6早大
G:大阪築港R:竹上四郎決勝

関西大学ラグビー部創部
「わがラグビー部が誕生したのは大正12年の春で、学内の野球、陸上、サッカー、角力[相撲のこと]、柔道、剣道等の運動部選手中の同好者とその有志が集まって発足したのが始まり」(『関西協会史』P113)と初代主将脇野徳三郎が記している。
 京都三中(現山城高)にもラグビー部が創部されている。
関東に大学ラグビー部次々と創立
 立教大学ではサッカーをしていた早川郁三郎が、京大OBでラグビーを経験した兄荘一郎に誘われて、第1回の早慶戦を観戦した。これを期にラグビーに魅了された郁三郎が仲間を集い、同好会から翌13年に体育会に公認された。第一高等学校、東京高等師範(文理大、教育大、現筑波大)、成蹊高校、関西にも関西大学などにラグビー部が次々に創部されていくが、創部の経緯は省略させていただく。
第7回日本蹴球大会(宝塚)
 中学の部は同志社中、京都一商、立命館中、京都中の出場で同志社中が優勝した。大学高専の部は三高同大関西大同志社高商、神戸高商の5校が出場し、三高が優勝した。
第1回早明戦始まる
 ラグビーの代名詞ともなり、今日までラグビーファンの人気を集めてきた早明戦は、この年の12月24日に早大戸塚球場で第1回の定期戦が行われ、早大が42−3で快勝した。
その他の主要試合
〈関東〉
T12(1923).11.23○慶応義塾20−3早大
G:早大戸塚R:香山蕃第2回定期戦
T12(1923).12.18○慶応義塾60−0明大
G:三田綱町R:増田鉱太郎第1回定期戦
T12(1923).12.24早大42−3明大
G:早大戸塚R:白田六郎第1回定期戦
T12(1923).12.26東大44−0明大
G:一高R:橋本壽三郎第1回定期戦
T13(1924).1.16早大14−0●商大(現一橋大)
G:早大戸塚R:朝桐尉一第1回定期戦
T13(1924).1.19○慶応義塾38−0●商大(現一橋大)
G:三田綱町R:大市信吉第1回定期戦
T13(1924).1.24早大0−3東大
G:早大戸塚R:大市信吉第2回定期戦
T13(1924).2.3△慶応義塾0−0東大
G:三田綱町R:橋本壽三郎第2回定期戦
T13(1924).2.11○関東OB6−3●関西OB
G:三田綱町R:大市信吉第7回
〈関西〉
T12(1923).10.16三高3−10京大
G:三高R:竹上四郎第1回定期戦
T12(1923).11.3三高23−0●KRAC
G:三高R:竹上四郎第24回定期戦
T12(1923).11.7三高10−8京大
G:三高R:竹上四郎第2回定期戦
T12(1923).11.23三高6−4同大
G:同大R:竹上四郎第12回定期戦
T12(1923).11.24同大9−0●KRAC
G:同大R:不明第19回定期戦
T12(1923).11.27同大0−5京大
G:三高R:竹上四郎第1回定期戦
T12(1923).12.8京大6−0●KRAC
G:三高R:スペンス第1回定期戦
T12(1923).12.11三高0−3京大
G:三高R:竹上四郎第3回定期戦
T12(1923).12.30○慶応義塾9−0京大
G:三高R:竹上四郎第1回定期戦1)
T13(1924).1.6○慶応義塾3−0三高
G:三高R:竹上四郎第11回定期戦
T13(1924).1.9△慶応義塾0−0同大
G:同大R:竹上四郎第11回定期戦
T13(1924).1.10京大8−3東大
G:三高R:竹上四郎第3回定期戦
T13(1924).1.12○慶応義塾21−0●KRAC
G:神戸東遊園地R:スペンス第13回定期戦

1) 『関西協会史』では10−0とある。