昭和38年(1963)3月3日 第3回日本協会招待NHK杯

秩父宮ラグビー場

八幡製鉄 25-6 明大

八幡、明大を下して二度目の日本

昭和37年(1962)度 第3回NHK杯
1963年3月3日 G:秩父宮ラグビー場 R:江田昌佑 KO
八幡製鉄 25 6 明大
1 吉村 靖俊(福岡工) 8 3 1 児玉 雅次(③福岡高)
2 江藤 敏勝(福岡高) 17 3 2 村田 一男(②成城高)
3 木下 二郎(熊本工) 3 栗原  健(②北海高)
4 岡部 英二(明大) 2 T 1 4 藤原  進(②大館鳳鳴高)
5 草津 正武(熊本工) 1 G 0 5 安藤 勝彦(②西陵商)
6 尾崎 政雄(早大) 0 PG 0 6 太田 正人(③日本学圓)
7 西住 弘久(福岡工) 0 DG 0 7 加賀谷 孝夫(②秋田工)
8 植木 史朗(福岡高) 8 烏谷 忠男(④新田高)
C9 関根 万睦(早大) 5 T 1 9 三浦 修五郎(④金足農)
10 松岡 要三(明大) 1 G 0 C10 北島 治彦(④日本学圓)
11 滝口 東洋(常盤高) 0 PG 0 11 飯田 恒久(①福岡高)
12 高川 健世(福岡高) 0 DG 0 12 鈴木 忠義(①保善高)
13 伊野 三之(明大) 13 岩見 勝志(①崇徳高)
14 宮井 国夫(明大) 8 8 14 原  弘毅(③山田高)
15 北岡  進(早大) 15 安田 直大(④北見北斗高)

 明大は伝統の強力FWに加え、バックスもSH三浦、SO北島、FB安田のタテの線が強く、大学選手権で同大を破って大いに期待された。この年の5月、戦後初の日本代表カナダ遠征メンバーに、明大から上記の3名のほかにHO村田、バックロー烏谷の5名が、八幡からは草津、岡部、西住、植木、伊野、宮井、松岡の7名が選ばれている。この試合が名実ともに日本一のレベルであった証明である。前半八幡は、後にプロレスに転向した巨漢LO草津が、強引なトライを2つもぎ取り優位に立つ。明大も28分にラインアウトからFL太田が飛び込んで8−3と食い下がる。後半風上に立った八幡が明大にプレッシャーをかけ、5分に明大FB安田のキックをチャージした吉村から尾崎にパスがわたりトライ(ゴール)、13−3とリードを広げる。明大もCTB鈴木がトライを返したが、八幡の優位は揺るがず、26分伊野、28分滝口、31分尾崎、33分宮井とトライの雨を降らせ25−6で快勝した。