昭和46年(1971)1月5日 昭和45年(1970)度 第7回大学選手権決勝

写真
秩父宮ラグビー場
早大 14-9 日体大
「荒ぶる」早大、大学日本
昭和45年(1970)度 第7回大学選手権決勝
1971年1月5日 G:秩父宮ラグビー場 R:西山常夫 KO 14:30
早大149日体大
1栗本 利見(④岐阜工)601村上 孝二(④穂別高)
2高橋 哲司(③四条畷高)892小城  博(③竜谷高)
C3大東 和美(④報徳学園)3松崎 成生(④岐阜工)
4阿部 憲之(④仙台一高)1T04小川 武久(③佐世保北高)
5津留崎 鉄二(③城北高)0G05浜武 常司(④西海学園)
6久保田 勇(④四条畷高)1PG06斉藤 俊二(④尾北高)
7萩原 隆男(③早大学院)0DG07福沢 敏夫(④新田高)
8益田  清(③花園高)C8赤間 英夫(④福岡電波高)
9宿澤 広朗(②熊谷高)1T39本田 泰則(②目黒高)
10中村 康司(②函館北高)1G010岡本 博雄(②淀川工)
11佐藤 秀幸(③大分舞鶴高)1PG011有賀  健(②日川高)
12藤井 雅英(③早大学院)0DG012井関 陽一(④尾北高)
13平岡 惟史(④大分舞鶴高)13中村  博(③志摩高)
14堀口  孝(①早大学院)91114高橋 富男(④久我山高)
15小林 正幸(④宇都宮高)15植田  実(②大和川高)

 あらためていま40年前のスクラップを開いてみると、こんなに雪一面のグラウンドだったのかと感慨にふけってしまう。「荒ぶる吹雪の逆巻く中に、球蹴る我らが銀塊砕く……」、皆で肩を組んで絶叫した思い出が一気によみがえる。メンバーはすでに還暦を超え、久保田と宿沢は鬼籍に入ってしまった。だが大東も小林も私の脳裏に浮かぶのは、いつでも22歳の彼らのままだ。この試合の観戦記は当時の紙面に委ねるべきであろう。
「手に手をとり、声高らかに歌う早大。2年ぶり4度目の優勝に、大東主将や、日比野監督の目から涙がこぼれ落ちる。雪を踏んで歌っているのは、早大ラグビー部の部歌『荒ぶる』だ。“荒ぶる吹雪の逆巻くなかに、いざ行け、我らがラグビーワセダ”歌が終わり、ドロだらけのフィフティーンは、大東主将の『それ! 行け!』のかけ声と同時に、日比野監督を高々と宙にほうりあげる。“ワッショイ、ワッショイ”大東主将、小林らのからだがつぎつぎに舞う。感激のあまりしばし声が出ない日比野監督。『もし負けたら学生たちがかわいそうだ。本当にみなよくやってくれた。苦しい練習が報いられた』。学生の感涙をみながら、しみじみこの一年をふりかえる。『もう胸がつまって何もいえません。ただうれしい』、これだけいうと大東主将は口をつぐむ。ドロンコのホオを涙がつたって流れる。(中略)
 雪辱の念に燃え、この一年間の苦しい練習にたえてきたのだ。日比野監督は『会心の出来です。劣勢を予想されたFW陣がよく健闘してくれた。今日はグラウンドが柔弱なので、パントを多用し、ゴール前では思い切ってバックスにまわし、勝負しろとアドバイスしたが、その通りやってくれた』と百点のフルマークをつけた。これで、早大は42年以来、4年ぶりに日本選手権への出場権を得たが、『ここ3年泣かされたので、今年は笑わせてもらいます』と、日比野監督は15日の日本選手権にも自信満々。選手たちも『全力をつくす』と早くも燃えている。15日夜まで、大学日本一の祝勝会もおあずけだそうだ」(サンスポ・山本実)。
「得点経過 前半6分、早大ラックから右に回し堀口トライ。15分佐藤PG(早大6−0日体大。)後半13分、早大がゴール前に迫り萩原のクイックスローインを栗本が取って右隅に飛び込み、佐藤が難しいゴールを決める。日体大は13分福沢、21分小城がトライ6−11とせまったが、早大は27分に佐藤がPG。終了間際に小川にトライを許したが、14−9で逃げ切った」(『早大ラグビー史の研究』P299)。