昭和36年(1961)度 第14回社会人大会決勝

昭和37年(1962)1月8日 花園ラグビー場

○近畿日本鉄道 6-5 八幡製鉄

近鉄、八幡の牙城を崩して4回目の優勝

昭和36年(1961)度 第14回社会人大会決勝
1962年1月8日 G:花園ラグビー場 R:宇野憲治 KO 14:00
近畿日本鉄道 6 5 八幡製鉄
1 船木 一男(天理高) 3 5 1 吉村 靖俊(福岡工)
2 蓬田 和志(天理高) 3 0 2 江藤 敏勝(福岡高)
3 畠山  忠(秋田工) 3 藤  晃和(明大)
4 中山  久(成蹊大) 1 T 1 4 内村 利久(熊本工)
5 前田 恭平(同大) 0 G 1 5 草津 正武(熊本工)
6 森岡  正(布施工) 0 PG 0 6 山崎 靖彦(早大)
7 辻井 清倫(洛北高) 0 DG 0 7 西住 弘久(福岡工)
8 武田  明(尼崎高) 8 植木 史朗(福岡高)
C9 福田  廣(日大) 0 T 0 9 関根 万睦(早大)
10 松本 信一(布施工) 0 G 0 10 浮田 光雄(常盤高)
11 神庭 正生(天理高) 1 PG 0 11 筒井  清(八幡高)
12 田中 伸治(徳島城東高) 0 DG 0 12 伊野 三之(明大)
13 武岡 孝行(美馬商) 13 北岡  進(早大)
14 芦田 善美(天理高) 10 6 C14 宮井 国夫(明大)
15 山田 満久(西京高) 15 松岡 要三(明大)

 八幡製鉄は3連覇を達成し黄金時代を築いていた。八幡・近鉄時代と並び称された強豪だが、近鉄は八幡の陰に隠れがちだった。それは4年連続での決勝対決で、3年続けて敗れたのが近鉄だという事実と重なる。その4度目の対決で近鉄が勝った、それも6−5というこれ以上ない僅差で。判官びいきの観客が喝采を送ったのは当然であった。ここで近鉄が勝っていなかったら、八幡が8連覇を成し遂げていたかもしれない。この試合がベストゲームに選ばれる背景は十分に満たされていた。

 このシーズン、近鉄は上坂桂造、八幡は土屋俊明というこれまで屋台骨を支えてきた選手が引退し、近鉄は福田、八幡は宮井が主将を務めてチームを牽引した。近鉄は準々決勝で大阪府警と6−6の引き分け、抽選で勝ち上がる僥倖(ぎょうこう)に恵まれ、八幡は危なげなく勝ち上がり、下馬評は八幡が優勢と見られていた。

 前半は14分、近鉄福田がPKをインゴールにハイパントしたのを八幡が落球、近鉄のHO蓬田が押さえてトライ、3点を先取した。八幡は30分にエース宮井が60メートル独走してトライ(ゴール)、5−3と逆転した。後半近鉄は21分に八幡陣内に攻め込みPKを得て、これをFB山田が慎重に決めて6−5と逆転した。近鉄はこのリードを守り、最後まで逃げずに攻めきって勝利をもぎ取った。

「(前略)21分30ヤードの混戦で八幡が反則、これを山田が慎重にねらってPGを決め6−5と逆転した。近鉄はこのあとも逃げる作戦には出ず堂々と攻め続け、八幡の反撃を誘うようなプレーをしなかった。これも近鉄の勝因の一つに挙げられる。終わりころの八幡はあせってTBパスの失敗が続き四連勝の夢がやぶれた。全般を通じて八幡のTBパスが単調であり、両センターで何とか局面を変えるキックとかシザース[クロスして攻撃方向を変えるプレー]などの変化がほしかった。あまりにもTBパスに強気であったことが近鉄の待ち構えたワナに引っかかったといえよう」(朝日、鹿子木聡)。

 鹿子木さんの試合評には淡々と述べられているが、私は息詰まる熱戦であったと思っている。ほかでも述べているが、取りつ取られつの乱打戦は一見おもしろく見えるが、激しいタックルの応酬でお互いにトライが取れない、必死の攻防戦のほうが見応えがある。私は近鉄のディフェンス勝ち、守り勝ちを十二分の満足感をもって観戦させてもらった。

 この大会に、後に7連覇を達成する新日鉄釜石(当時は富士鉄釜石)が初出場したが、1回戦で大阪府警に6−19で敗れている。