昭和42年(1967)度 第20回社会人大会決勝

昭和43年(1968)1月8日 花園ラグビー場

○近畿日本鉄道 6-5 トヨタ自工●

近鉄、奇跡の逆転で2連覇

昭和42年(1967)度 第20回社会人大会決勝
1968年1月8日 G:花園ラグビー場 R:下平嘉昭 KO 14:00
近畿日本鉄道 6 5 トヨタ自工
1 川崎 守央(布施工) 3 0 1 田中  武(法大)
2 中山  忠(秋田工) 3 5 2 角屋 政雄(北見北斗高)
3 神野  崇(関西大) 3 石井 京三(法大)
4 小笠原 博(弘前実) 0 T 0 4 枝田 英雄(広島工)
5 鎌田 勝美(法大) 0 G 0 5 安藤 勝彦(明大)
6 伊家村 昭三(目黒高) 1 PG 0 C6 田中  稔(立大)
7 河合 義信(目黒高) 0 DG 0 7 藤原  進(明大)
C8 石塚 広治(同大) 8 杉浦  平(トヨタ学園)
9 大久保 吉則(法大) 1 T 1 9 松田 章三(日体大)
10 豊田 次朗(西南学大) 0 G 1 10 尾崎 真義(法大)
11 坂田 好弘(同大) 0 PG 0 11 山田 陸康(法大)
12 犬伏 一誠(早大) 0 DG 0 12 曽我部 信武(法大)
13 片岡 幹郎(関西大) 13 三沢  哲(日体大)
14 神庭 正生(天理高) 1 8 14 原  弘毅(明大)
15 伊海田 誠男(日大) 15 吉永 昌夫(日大)

 この時代の近鉄は黄金時代を迎えていた。不沈の八幡がトップの座を明け渡したあと、近鉄が一枚看板でラグビー界を支えた。メンバーを見てもその充実ぶりがうかがえる。絶頂期にあった主将の石塚広治を中心に川崎守央、中山忠、神野崇、大久保吉則、豊田次郎、伊海田誠男らのベテランと小笠原博、鎌田勝美、犬伏一誠、坂田好弘らの新鋭がうまくかみ合った最強チームだった。その近鉄に挑んだのが、昇り竜のトヨタトヨタは4回目の決勝進出、前年度も決勝で近鉄に跳ね返され15−3で涙をのんでいる。

 近鉄東京三洋に49−0、栗田工業に33−9、準決勝のリコーに21−6と順調に勝ち進んだ。一方のトヨタも確実に力をつけ、長崎教員を76−3、善通寺自衛隊を90−0の大会新記録、準決勝の富士鉄釜石を11−5と退けて決勝進出、昨年の雪辱を遂げようと意気軒昂だった。

 舞台は整った。いくら内容のいい試合でも、盛り上がりに欠けては後世に語り継がれる名勝負とはならない。後世に残る近鉄中山のロスタイムでの逆転独走トライは、この大舞台で生まれた。まさに九回裏ツーアウトからの逆転ホームランであった。

 前半は近鉄豊田のPGのみで3−0。後半6分、トヨタの右ウイング原が近鉄犬伏のパスをインターセプトして60メートル独走トライ(ゴール)で5−3と逆転、このまま逃げきるかに見えた。残り時間はもうなかった。ここから中山の激走トライが生まれた。「ああ、あの試合か」と思い出されるオールドファンも多いだろう。私も額にテープを巻いた中山が懸命に走った姿が脳裏によぎる。

「ところが次の瞬間に“奇跡”が起こったのだ。相手バックスのキックを受けた石塚が、中央線付近から左ライン際を豪快に突進。これに左ウイング坂田、バックロー[現在のフランカー]河合、FB伊海田とFW、バックス一体となったものすごいフォローが続き、最後はフロントローの中山が左スミに勝利のトライを押さえ込んだ。中山の小柄なからだに飛びついて喜ぶ、小笠原、伊海田、河合、その横でグラウンドをたたいてくやしがるトヨタの選手たち。一瞬シーンとしたスタンドから、割れるような拍手とどよめきがまき起こった。このトライは『試合終了の10秒前だった』と下平主審はいう。文字通りまさに“奇跡の大逆転劇”といわねばならない(後略)」(朝日、署名なし)。

 トヨタのSH松田章三が44年後のいま、その瞬間を語ってくれた。「トヨタボールのラインアウトを取って、タッチへ蹴り出せば終わると思ったが、近鉄のチャージが厳しくてSOの尾崎さんにパス。尾崎さんがライン背後に蹴ったボールがつながれて……。でも、あれがあったから翌年日本一になれたんですよ」。