昭和48年(1973)度 第26回社会人大会決勝

昭和49年(1974)1月8日 花園ラグビー場

リコー 4-3 近畿日本鉄道●

リコー近鉄に競り勝ち2連覇

昭和48年(1973)度 第26回社会人大会決勝
1974年1月8日 G:花園ラグビー場 R:牧 弥太郎 KO 14:30
リコー 4 3 近畿日本鉄道
1 佐藤 鉄三郎(法大) 4 0 1 原   進(東洋大)
C2 後川 光夫(早大) 0 3 2 黒坂 敏夫(同大)
3 板垣 吉信(大東一高) 3 吉野 一仁(大経大)
4 川崎  忠(日大) 1 T 0 4 小笠原 博(弘前実)
5 豊田  茂(中大) 0 G 0 5 首藤 幸一(北九州工専)
6 大坪 重雄(同大) 0 PG 0 6 下司 光男(志摩高)
7 内田 昌裕(中大) 0 DG 0 7 川口 真充(日大)
8 村田 義弘(中大) 8 吉井 隆憲(追手門学院)
9 竹谷  満(専大) 0 T 0 9 今里 良三(中大)
10 藤田 康和(早大) 0 G 0 10 上村 和弘(天理高)
11 有賀  健(日体大) 0 PG 1 C11 坂田 好弘(同大)
12 水谷  眞(法大) 0 DG 0 12 吉田 正雄(法大)
13 伊藤 忠幸(法大) 13 栗原  進(東洋大)
14 平木 明生(愛媛大) 10 12 14 浜野 武史(関西学大)
15 山本  巌(早大) 15 越久  守(板野高)

 リコー近鉄の両雄が相譲らない名勝負を演じ、社会人大会史上に残る見応えある決勝戦になった。

 前半25分近鉄FL下司光男がインゴールに持ち込んだが、リコーの執拗なタックルにノックオンしてチャンスを逃す。29分リコーはラックからSOの藤田康和が抜いてパント、これを追った新人WTBの有賀健[現サントリー有賀剛の父]がドリブルして、インゴールで押さえてトライ、4−0とリードした。後半14分近鉄が栗原進のPGで4−3と追い上げる。30分にはWTB浜野武史がゴール前1メートルでリコーFB山本巌のタックルに阻まれ、起き上がって飛び込もうとしたとき村田義弘、大坪重雄に飛びつかれインゴールでボールを落とした。近鉄は惜しいチャンスを2度も逃し悔しい敗戦となった。有賀のトライはインゴールが広い花園ならではのトライで、秩父宮や国立競技場では間違いなくドロップアウトだったと話題になった。しかし有賀健の快足がもたらしたトライであることは間違いない。山口一成監督が宿願を達成して、胴上げされた姿が印象に残る。

 朝日新聞から抜粋する。「試合は近鉄に有利な条件が揃いすぎていた。井澤、寺元らの主力選手を故障で欠くリコーに対し、けが人なしのベストメンバーで戦えること、準決勝までの試合内容が個人技の多いリコーよりずっと良かったことなど……。さらにもう一つ、FWの重さ、強さが近鉄有利説の一番の裏付けとなっていた。だが、リコーの山口監督は試合前、声を大にしてこう力説したものだ。『うちのFWもまとまれば強い。主将の後川らが大学選手権で早大が10キロ近くも違う明大の重量FWを破ったような試合をやるといっています。まあ見ていて下さい』」。“ハイライト”というこの試合評の下段に「社会人の代表と十五日、“ラグビー日本一”をかけて争うことになっている学生ナンバーワンの早大は、この日、日比野監督、神山主将、植山選手の三人がスタンドで“敵情視察”。リコー優勝でくしくも関東勢が舞台をここ花園に移して対戦するが、早大リコー双方とも“未知の相手”であることが面白い」という記事が載っていた。

 リコーは、社会人大会で昭和45年(1970)度に釜石と引き分けて双方優勝、その後5年続いて決勝に進出、優勝3回を誇る名門だが、上位進出はこの期に限られている。関東大学の精鋭を集めたエリート軍団として彗星のように輝きを見せ、人気チームとなった。現在もトップリーグで活躍しているが、いつも古豪と称されているのは寂しい。和製オールブラックスがチャンピオンに輝く日を待ちわびているファンも多い。