九州朝日招待試合史

 
 九州協会は九州のラグビーを強化発展させるために、国内の一流チームを迎えて試合をすることが必要と考え、朝日新聞九州支局に勤務していた松岡洋郎(早大OB)が、東京本社の企画部長だった西野網三(早大OB)に働きかけ、昭和26年(1951)1月15日に大学No.1のチームを招き、九州朝日招待試合と銘打って九州代表チームと対戦させる企画を成功させた。
 それまでは関東、関西の大学No.1チームが全国制覇と評されてきたのが、これ以降朝日招待試合に勝って初めて全国制覇と称えられる、大学チームにとっても極めて重要な試合になった。戦後初期、昭和35年まで10回の大会はまさに日本選手権試合の前身であったといえる。
 昭和35年(1960)度に日本協会がNHK杯争奪戦を実施、さらに昭和38年(1963)度から第1回日本選手権大会を実施した。九州協会は第15回朝日招待試合から1月15日を日本協会に譲り、日程を3月に変更して日本学生代表、または大学トップレベルのチームを招待して朝日招待試合を存続させた。
 昭和42年(1967)3月4日の第17回朝日招待試合には、この年2月に急逝した松岡洋郎の遺影をグラウンドに飾り、故人の功績を称え偲んだ。九州から多くの人材を輩出する源となり、九州のみならず日本ラグビー界の強化と発展に多大な足跡を残した九州朝日招待試合は、平成21年(2009)度(平成22年3月14日)の第60回を最後に、歴史の幕を閉じることになった。
 私も第7回朝日招待試合に出場した思い出があり、大会が終了することに寂しさを覚える。昭和25年(1950)度から38年(1963)度までの大学ラガーマンにとって、朝日招待試合は“輝かしいゴール”を意味する響きがあった。九州代表も地元ファンの声援を受け、“九州ラガーマンの誇りをかけて”全力で挑んできた。九州最高のビッグゲームの熱気が懐かしい。
 60回の大会を振り返ると、九州代表の24勝2分33敗(中止1)となる。大学勢の成績は下記のとおりである。九州代表には早大が10勝2敗と最高勝率を上げているのは誇ってもよいが、昭和52年(1976)3月の対戦中止は、早大の不祥事による出場辞退である。関係各位に改めてお詫び申し上げなければならない。
対戦チーム試合数勝率
日本学生代表14100471.4
明治大学1360746.2(全明大の1勝を含む)
早稲田大学12100283.3
関東学院大学540180.0
法政大学311150.0
同志社大学311150.0
大東文化大学310233.3
日本大学20020
慶応大学20020
日本体育大学10010
帝京大10010
対戦中止1試合
合計593322455.9

 大会の実施にご尽力くださった九州朝日新聞社はじめ、関係諸氏に深甚なる謝辞をささげる。[メンバーの復元には西牟田耕治(早大OB、元朝日新聞社)氏にとくにご協力いただいた]
回数試合日チームスコアチームグラウンドレフリー
【九州朝日招待試合】
第1回昭和26年(1951)1.15早稲田24−3●九州代表平和台競技場平山新一
第2回昭和27年(1952)1.15○明治大36−14●九州代表平和台競技場平山新一
第3回昭和28年(1953)1.18早稲田46−0●九州代表平和台競技場平山新一
第4回昭和29年(1954)1.15早稲田16−3●九州代表平和台競技場平山新一
第5回昭和30年(1955)1.15○明治大24−11●九州代表平和台競技場平山新一
第6回昭和31年(1956)1.15日本10−29○九州代表平和台競技場松岡正也
第7回昭和32年(1957)1.15早稲田19−15●九州代表平和台競技場平山新一
第8回昭和33年(1958)1.15●慶応大5−23○九州代表平和台競技場堀 博俊
第9回昭和34年(1959)1.15早稲田20−11●九州代表平和台競技場大塩 勇
第10回昭和35年(1960)1.15○法政大29−14●九州代表平和台競技場安武恒夫
第11回昭和36年(1961)1.15日本12−24○九州代表平和台競技場高武昭夫
第12回昭和37年(1962)1.15●明治大6−30○九州代表平和台競技場高武昭夫
第13回昭和38年(1963)1.15○明治大20−14●九州代表平和台競技場高武昭夫
第14回昭和39年(1964)1.15●法政大11−24○九州代表平和台競技場高武昭夫
第15回昭和40年(1965)3.7日本学生代表3−36○九州代表平和台競技場門田久人
第16回昭和41年(1966)3.6日本学生代表31−22●九州代表平和台競技場門田久人
第17回昭和42年(1967)3日本学生代表34−16●九州代表平和台競技場門田久人
第18回昭和43年(1968)3.3日本学生代表50−40●九州代表平和台競技場小泉五郎
第19回昭和44年(1969)3.2日本学生代表29−16●九州代表平和台競技場淵本武陽
第20回昭和45年(1970)3.1日本学生代表17−34○九州代表平和台競技場吉田通生
第21回昭和46年(1971)3.7日本学生代表21−27○九州代表平和台競技場門田久人
第22回昭和47年(1972)3.4日本学生代表32−14●九州代表平和台競技場吉田通生
第23回昭和48年(1973)3.4日本学生代表22−37○九州代表平和台競技場三野紀雄
第24回昭和49年(1974)3.3日本学生代表25−21●九州代表平和台競技場三野紀雄
第25回昭和50年(1975)3.2日本学生代表52−14●九州代表久留米陸上淵本武陽
第26回昭和51年(1976)3.14日本学生代表25−15●九州代表平和台競技場三野紀雄
第27回昭和52年(1977)3中止(早大部員不祥事による出場辞退による)
第28回昭和53年(1978)3.12●明治大6−30○九州代表久留米陸上三野紀雄
第29回昭和54年(1979)3.11日本体育大15−23○九州代表平和台競技場三野紀雄
第30回昭和55年(1980)3.9●明治大24−35○九州代表平和台競技場三野紀雄
第31回昭和56年(1981)3.8△同志社大24−24△九州代表北九州鞘ヶ谷里岡勝郎
第32回昭和57年(1982)3.7●明治大0−29○九州代表平和台競技場竹井史旺
第33回昭和58年(1983)3.6●同志社大3−16○九州代表平和台競技場近藤誠一
第34回昭和59年(1984)3.11○同志社大13−12●九州代表北九州三萩野川崎重雄
第35回昭和60年(1985)3.10日本学生代表20−13●九州代表平和台競技場近藤誠一
第36回昭和61年(1986)3.9日本学生代表26−20●九州代表平和台競技場城戸英敏
第37回昭和62年(1987)3.8○大東文化大15−14●九州代表平和台競技場川崎重雄
第38回昭和63年(1988)3.6早稲田37−14●九州代表平和台競技場吉丸秀利
第39回平成1年(1989)3.5●大東文化大18−29○九州代表平和台競技場笛 隆志
第40回平成2年(1990)3.4早稲田17−20○九州代表平和台競技場吉丸秀利
第41回平成3年(1991)3.3○全明治大14−13●九州代表平和台競技場吉丸秀利
第42回平成4年(1992)3.8○明治大34−19●九州代表平和台競技場岩下真一
第43回平成5年(1993)3.7△法政大8−8△九州代表平和台競技場岩下真一
第44回平成6年(1994)3.6●明治大15−53○九州代表平和台競技場御領園昭彦
第45回平成7年(1995)3.5●大東文化大7−26○九州代表平和台競技場御領園昭彦
第46回平成8年(1996)3.3●明治大26−72○九州代表平和台競技場御領園昭彦
第47回平成9年(1997)3.2●明治大48−55○九州代表平和台競技場石本月洋
第48回平成10年(1998)3.8○明治大51−50●九州代表博多の森御領園昭彦
第49回平成11年(1999)3.7関東学院38−33●九州代表平和台競技場御領園昭彦
第50回平成12年(2000)3.5●慶応大28−38○九州代表平和台競技場石本月洋
第51回平成13年(2001)3.4関東学院52−26●九州代表平和台競技場古賀善充
第52回平成14年(2002)3.3関東学院52−12●九州代表平和台競技場石本月洋
第53回平成15年(2003)3.9早稲田62−21●九州代表博多の森古賀善充
第54回平成16年(2004)3.4関東学院49−59○九州代表博多の森古賀善充
第55回平成17年(2005)3.13早稲田45−24●九州代表博多の森石本月洋
第56回平成18年(2006)3.12早稲田27−38○九州代表博多の森石本月洋
第57回平成19年(2007)3.11関東学院35−27●九州代表博多の森石本月洋
第58回平成20年(2008)3.21早稲田35−12●九州代表福岡レベスタ(旧博多の森)石本月洋
第59回平成21年(2009)3.20早稲田55−38●九州代表福岡レベスタ吉浦忠孝
第60回平成22年(2010)3.14帝京大8−36○九州代表福岡レベスタ細樅勇二
[第60回大会で終了]