テストNo.79 ウエールズ遠征1983第5戦

昭和58年(1983)10月22日 アームズパーク

日本代表 24-29 ウエールズ代表

ウエールズ全土沸かす大事件

No.211★79 第2回ウエールズ遠征1983第5戦
1983年10月22日 G:カーディフ R:J.トリッグ(E) KO 15:15
日本代表 24 29 ウエールズ代表
1 石山 次郎(釜石) 10 14 1 ジェフ・ホワイトフット
2 藤田  剛(日新製鋼) 14 15 2 ビリー・ジェームス
3 洞口 孝治(釜石) 3 イアン・エイドマン
4 林  敏之(神鋼) 1 T 3 4 ジョン・パーキンス
5 大八木 淳史(同大) 0 G 1 5 テリー・ショー
6 川地  光(九電) 2 PG 0 6 マーク・デービス
7 千田 美智仁(釜石) 0 DG 0 7 マーク・ブラウン
8 河瀬 秦治(東芝府中) C8 エディー・バトラー
9 小西 義光(サントリー) 3 T 2 9 レイ・ジャイルス
C10 松尾 雄治(釜石) 1 G 2 10 マルコム・デーシー
11 東田 哲也(同大) 0 PG 1 11 エイドリアン・ハドリー
12 平尾 誠二(同大) 0 DG 0 12 ブレディン・ボーエン
13 小林 日出夫(明大) 13 ケビン・ホプキンス
14 金谷 福身(日新製鋼) 11 10 14 マーク・ティトレー
15 谷藤 尚之(釜石) 15 マーク・ワイアット
交代【日】池田洋七郎(トヨタ)③
得点:T小西、谷藤、千田、藤田、G小林、PG小林2

 サンスポの見出しである。英国勤務中でテレビ東京の解説をした宿沢広朗がサンスポで「十年前、同じアームズパークで大敗したボクたち第一回英国遠征チームのカタキを今回ようやく取ってくれたと感激している」と評価してくれた。

 ここまで2勝1分1敗の成績でウエールズでの評判もうなぎのぼり。このテストマッチは当日売りを求めるファンの行列でキックオフが15分遅れるハプニングが起きた。日本のお茶の間にも放映されたこの試合は、24−29で敗れたが、深夜にもかかわらず高い視聴率を上げた。日本のラグビーファンがジャパンに大きな声援を送ってくれたことが何よりもうれしかった。

「『勝ったことを神に感謝している。ウエールズはラグビーにおいて世界一との自負を持っていた。しかし、ひとひねりでやっつけてやろうと考えた日本に、我々はこっぴどく痛めつけられた。世界一を維持するために日本に学び、一から練習しなおすつもりでいる』

 アフターマッチ晩餐会。ウエールズのパトラー主将はあいさつの中で厳しく己をいましめ、そして日本代表をたたえた。十年前のスコアが14−62だ。それを今回、日本代表は得点で10点上乗せし、失点を約2分の1に縮めた。しかもただ単にクロスゲームに持ち込んだだけでなく、『がっぷり四つに組み合う内容のある試合』(日比野監督)で80分をわたりあったのだ。17−29とリードが広がり、『やっぱりダメだったか』と思い始めた後半20分過ぎから連続3トライを奪う猛烈な追い上げ。1トライを記録しゴールに成功すれば逆転という日本の食い下がりは過去4戦、FWの健闘に支えられることの多かったバックスが、命を張って応えた“フォアザチーム”の精神だった。モールからの右展開で一度、平尾に切り込ませ、藤田起点のラックから今度は左へのゆさぶり、谷藤がコーナーに飛び込んだ22分のトライがそれだ。バックスのがんばりは、崩れはじめたFWの奮起をうながす。3・3・2の変則スクラムから千田がサイドをつき、35メートルを走り切った31分のトライ。ノーサイドの2分前、短いラインアウトから大八木、藤田とつないだ左中間トライ。息を吹き返したFWが今度は暴れた。不慣れなWTBで出場しながら、防御で活躍した金谷のタックル。体を張った金谷を筆頭とするバックスの防御が5点差までつめた大きな原因といえる。『この日のために練習してきた。それをすべて出した。満足だ』。松尾主将の言葉がすべてをあらわしていた」(サンスポ、末富鞆音特派員)。