テストNo.80 フランス代表第2回来日第3戦

昭和59年(1984)9月30日 花園ラグビー場

日本代表 0-52 フランス代表

日本惨め0敗

No.216★80 フランス代表第2回来日第3戦
1984年9月30日 G:花園ラグビー場 R:F.ハワード(E) KO 14:30
日本代表 0 52 フランス代表
1 木村 敏隆(同大) 0 18 1 ピエール・ドスピタル
2 藤田  剛(日新製鋼) 0 34 C2 フィリップ・ダントラン
3 池田 洋七郎(トヨタ) 3 ダニエル・ディプロカ
4 林  敏之(神鋼) 0 T 3 4 ジャン・コンドン
5 大八木 淳史(同大) 0 G 3 5 ジャン・シャルル・オルソ
6 川地  光(九電) 0 PG 0 6 ジャック・グラトン
7 越山 昌彦(山梨教員) 0 DG 0 7 ピエール・ラカン
8 千田 美智仁(釜石) 8 ドミニック・エルバニ
9 小西 義光(サントリー) 0 T 7 9 ピエール・ベルビジェ
C10 松尾 雄治(釜石) 0 G 3 10 ジャン・パトリック・レスカルブラ
11 戸嶋 秀夫(東芝府中) 0 PG 0 11 ローラン・バルド
12 平尾 誠二(同大) 0 DG 0 12 パトリック・フォール
13 金谷 福身(日新製鋼) 13 フィリップ・セラ
14 大貫 慎二(サントリー) 6 8 14 パトリック・エステーブ
15 谷藤 尚之(釜石) 15 セルジュ・ブランコ
交代【日】小林日出夫(釜石)⑮

 日本は“シャンパンラグビー”に完全にのみ込まれた。イブ・ノエ団長が『仏史上最強チーム』と語ったフランス代表の圧倒的なパワー、スピードの前に日本は何もさせてもらえなかった。「フッカーの藤田は首をひねった。『何をやったらいいんか、どうしたらいいんか、わからんようになってしもた』。昨秋のウエールズ戦で、大八木からパスを受けると、二人の大男を引きずりながらゴールへとなだれ込んだ男でさえ、どうやって食い止めたらいいかがわからない。同じようなことばを、日比野監督も沈痛な面もちで吐いた。『意図したプレーをすべて出し切ってこそ互角の勝負に……。それを何もやらせてもらえなかった』。3トライまでに抑えること。それには必殺のタックルしかないと、命を張るつもりで登場したフィフティーン。だか、いずれもミスがらみではあったが、リミットの3トライ目を前半25分という早い時間に奪われた(後略)」(サンスポ、末富鞆音)。