上三川町立図書館/上三川町デジタルアーカイブ

吉澤章ORIGAMIミュージアム

吉澤章ORIGAMIミュージアム

吉澤章氏は、栃木県上三川町出身の創作折り紙作家です。日本国内における創作折り紙の第一人者であり、折り紙を世界中に普及させることに尽力し、“ORIGAMI”が世界共通の言葉となることに多大な貢献をした人物です。作品の原点となる生まれ育った上三川では、現在でも日常生活や学校教育など、いたる場面で折り紙が取り入れられており、折り紙を愛する心が育まれています。上三川で連綿と受け継がれてきた折り紙文化の中心には吉澤氏の姿があるのです。


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栃木県上三川町出身創作折り紙作家 吉澤章よしざわ あきら

吉澤章氏は、栃木県上三川町出身の創作折り紙作家です。日本国内における創作折り紙の第一人者であり、折り紙を世界中に普及させることに尽力し、“ORIGAMI”が世界共通の言葉となることに多大な貢献をした人物です。

吉澤章(よしざわあきら)

プロフィール

1911年 0歳 3月14日、栃木県上三川町に生まれる
1915年 4歳 近所のお姉さんに舟の折り紙を折ってもらう
1924年 13歳 奉公のため上京
1954年 43歳 国際折り紙研究会を創設
1955年 44歳 オランダ・アムステルダムで初の個展
1983年 72歳 勲五等雙光旭日章を受章
2005年 94歳 誕生日の3月14日に逝去

折り紙との出会い

吉澤氏は、明治44(1911)年に上三川町で生まれました。

折り紙との出会いは、4歳の頃に近所のお姉さんが新聞紙で作ってくれた折り紙の舟でした。それから、一枚の紙から形作られる創造の世界に興味を抱いだくようになりました。

ほどなく、上三川尋常高等小学校に通うようになりました。「手工科」の時間では、先生から配られる美濃紙や染和紙を、折っては形を作り、また開いては違う形を作りと、何度も繰り返し使い、造形の奥深さに夢中になりました。

激動の青年期

小学校を卒業すると、奉公のため上京し、洋服店や酒屋等で働く日々を送ります。

21歳のときに鉄工所で働くようになり、年若い少年たちの教育係を任されました。おもちゃや折り紙を使い、機械の使い方や設計図の青写真の読み方など、仕事に必要な知識を教えていきました。そうした経験や、奉公先や創作活動で出会ったさまざまな人々との交流を重ねたことで、より本格的な折り紙研究を行うようになりました。

仕事をしつつ、空いた時間には創作折り紙作りに没頭する日々を過ごしました。

このころの日本は、戦後間もない復興期であり、折り紙作品の美術的地位は他の芸術作品と比べてまだまだ低くみられていました。

国内外での活躍

昭和25(1950)年、美術造形作品として折り紙を初めて発表し、昭和29(1954)年には、海外で日本の創作折り紙を広める目的で「国際折り紙研究会」を設立しました。翌年、オランダ・アムステルダムで初の個展を開催し、世界中から喝采を浴びました。また、外務省から派遣されて世界約50カ国に赴き、折り紙文化の普及に努め、国際交流に多大なる功績を残しました。 国内においても精力的に創作活動を行い、昭和58(1983)年には折り紙による文化普及の功績により“勲五等双光旭日章(くんごとうそうこうきょくじつしょう)”を受章するなど非常に高い評価を受けました。平成15(2003)年に故郷上三川町で開催した作品展には、約15,000人が来場しました。

折り紙に求めたもの

上三川町の作品展から2年後の平成17(2005)年3月14日、94歳の誕生日を迎えたその日、折り紙に全てを捧げた人生の幕を閉じました。死後もその評価は高く、平成24(2012)年3月14日には、生誕101年を記念してGoogleのホームページのロゴが「折り紙」バージョンとなりました。

吉澤氏は、創作のテーマを広く世界の事物に求めることとし、自然界のあらゆる動植物、地球や宇宙の現象にまで視野を広げる一方で、日常の生活、更には人の心の移ろいも、一枚の紙に託して表現をしました。これは吉澤氏が持つ独特な感性、そして多様な表現様式から生み出されたものであり、その原点は故郷上三川にあったと語っています。

(上三川町教育委員会生涯学習課)