1. せんずけの海“渡りの国”

Kaminokuni
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上ノ国町

せんずけの海“渡りの国”

ストーリー

上ノ国町の日本海は、江戸~明治時代にかけてニシン漁の盛況によってまさにせんずけ(方言で「大漁」の意)の海となっていた。当時は、北前船による物流のみならず、本州からの人の往来も盛んであった。その中でも特に上ノ国町の海方面は、江戸時代に円空・菅江真澄・旧笹浪家の人たちが訪れ、汐吹地区の漁師が追いニシンによる余市漁場の開拓を行うなど人の出入りが激しい地域であった。
大正時代以降、ニシン漁でにぎわう浜の姿は見られなくなったが、汐吹漁港や小砂子地区では、日本海に沈む夕日を背景に出入りする船や、水揚げ、ホッケ干しなどの風景を今もみることができる。
さらに、昭和時代に入ると石崎地区の漁港トンネルや中外鉱山の溶焼炉などの近代化遺産とともに今も浜の景観と文化を体感できる地域となっている。

A円空仏

上ノ国町では、日本海沿いで6体の円空仏が上ノ国観音堂、木ノ子光明寺、北村地蔵庵、石崎八幡神社、旧笹浪家住宅で大切にされ、今でも地域の篤い信仰を集めている。
現在の岐阜県で生まれた円空は、寛文6(1666)年の時に北海道へ渡って仏像を残したといわれている。

B重要文化財 旧笹浪家住宅

旧笹浪家住宅(主屋)は、代々ニシン漁で栄えた能登屋笹浪家の住居と仕事場として使われた建物(1826 ~ 1838 年の間に建築)で道内最古の民家建築である。
笹浪家は、能登半島に所在した笹浪村出身とされる。

C菅江真澄

三河国(愛知県三河地方)出身の菅江真澄は、寛政元(1789)年に上國寺の松逕上人と語り合った後、周辺の街並みを見学した際にユーモアのある看板を描いている。
「七里酒」は、二里と五里で二五里(濁り)酒と表現したものである。一方の「 有」は、酒という字に濁点をつけて濁り酒を表現したものである。
当時、北海道では米が貴重で濁り酒の製造が禁止されていたため、間接的でかつユーモラスな方法で知ってもらおうというものである。

D京谷家のニシン漁具

ニシン漁に使用した刺し網とアバである。アバには、墨書で「鰊大漁」や天保・慶応のほか明治時代を中心に記載されている。
京谷家のアバは、日本海から約3㎞内陸の中須田地区でみつかったもので、江戸~明治時代にかけて春先のニシン漁が盛況の際、農家が漁に従事していたことを物語る資料である。

E日本海の漁村文化

小砂子地区の家々では、家の軒先にホッケ干しなどの風景をみることができる。
また、郷土料理として、地元の海で獲れるひじきを大量に入れたけんちん汁は、町内でも小砂子地区だけの郷土料理として知られている。

F中外鉱山~鉱山資源の開発~

昭和 14(1939)年7月に八田満次郎が創業。昭和 18(1943)年に中外鉱業(株)が買収し開発が進む。昭和 35(1960)年には、鉱業の好調によって上ノ国の人口が 15,000 人と最多になる。機械化がすすみ快適な環境で生産され、厚生施設も完備されていた。昭和 61(1986)年休山。

G四季折々の秀逸な自然景観

日本海を望む海岸線からは、至る所から夕日を望むことができる。小砂子地区では、灯台越しの夕日、石崎地区では比石館跡の鳥居越しの夕日、木ノ子地区では古舘スタンド前の夕日、道の駅もんじゅの夕日が人気である(写真は、比石館跡の鳥居越しの夕日)。

関連文化財群を構成するマイ文化財

重要文化財旧笹浪家住宅

5代目の笹浪久右衛門が天保年間(1831 ~1845)に建築したといわれ、北海道最古の民家。

菅江真澄

寛政元(1789)年に上ノ国を訪れ、民俗的な記録を残す。

京谷家のニシン漁具

江戸時代末期から大正にかけて実際のニシン漁に使用された漁具。

昇平丸

幕末に薩摩藩が建造した洋式軍艦。明治3年に猫の沢沖で座礁し破船する。

上ノ国漁港遺跡
  • 上ノ国漁港遺跡は、昭和57年2月に地元の方が大澗湾より採集した陶磁器を上ノ国町教育委員会へ届けたことを契機に、埋蔵文化財包蔵地として昭和57年7月21日に登載されている。
  • 円空作 観音座像

    木ノ子光明寺に伝わる円空仏

    つぼっこ汁

    金時豆やニンジン、豆腐、ちくわなどをしょう油仕立ての汁で煮てある。主に小正月などに作られる。

    ゴジラエビ(ガサエビ)

    学名はイバラモエビ。

    石崎漁港トンネル

    昭和9(1934)年に比石館跡の下部に長さ 45m、幅9mの半円形の断面コンクリートブロック造りのトンネルが設けられた。昭和58年まで利用される。

    石崎奴

    道中振りで長柄の槍を振り立てて行進する。進行に際しては、一人が上の句を歌い、もう一人が下の句を歌いながら行進する。

    中外鉱山跡

    昭和 14(1939)年 7 月に八田満次郎が創業。昭和 18(1943)年に中外鉱業(株)が買収し、マンガン鉱を採掘した。昭和 61(1986)年休山。

    小砂子のけんちん汁

    地元で採れるひじきを大量に入れて作る。

    小砂子のホッケ干し

    家の軒先にホッケを干している。

    日本海に沈む夕日

    日本海を望む海岸線からは、至る所から夕日を望むことができる。

    関連文化財群 位置図