Kaminokuni
town
上ノ国町
ストーリー
上ノ国町の日本海は、江戸~明治時代にかけてニシン漁の盛況によってまさにせんずけ(方言で「大漁」の意)の海となっていた。当時は、北前船による物流のみならず、本州からの人の往来も盛んであった。その中でも特に上ノ国町の海方面は、江戸時代に円空・菅江真澄・旧笹浪家の人たちが訪れ、汐吹地区の漁師が追いニシンによる余市漁場の開拓を行うなど人の出入りが激しい地域であった。
大正時代以降、ニシン漁でにぎわう浜の姿は見られなくなったが、汐吹漁港や小砂子地区では、日本海に沈む夕日を背景に出入りする船や、水揚げ、ホッケ干しなどの風景を今もみることができる。
さらに、昭和時代に入ると石崎地区の漁港トンネルや中外鉱山の溶焼炉などの近代化遺産とともに今も浜の景観と文化を体感できる地域となっている。
5代目の笹浪久右衛門が天保年間(1831 ~1845)に建築したといわれ、北海道最古の民家。
寛政元(1789)年に上ノ国を訪れ、民俗的な記録を残す。
江戸時代末期から大正にかけて実際のニシン漁に使用された漁具。
幕末に薩摩藩が建造した洋式軍艦。明治3年に猫の沢沖で座礁し破船する。
木ノ子光明寺に伝わる円空仏
金時豆やニンジン、豆腐、ちくわなどをしょう油仕立ての汁で煮てある。主に小正月などに作られる。
学名はイバラモエビ。
昭和9(1934)年に比石館跡の下部に長さ 45m、幅9mの半円形の断面コンクリートブロック造りのトンネルが設けられた。昭和58年まで利用される。
道中振りで長柄の槍を振り立てて行進する。進行に際しては、一人が上の句を歌い、もう一人が下の句を歌いながら行進する。
昭和 14(1939)年 7 月に八田満次郎が創業。昭和 18(1943)年に中外鉱業(株)が買収し、マンガン鉱を採掘した。昭和 61(1986)年休山。
地元で採れるひじきを大量に入れて作る。
家の軒先にホッケを干している。
日本海を望む海岸線からは、至る所から夕日を望むことができる。