A円空仏
上ノ国町では、日本海沿いで6体の円空仏が上ノ国観音堂、木ノ子光明寺、北村地蔵庵、石崎八幡神社、旧笹浪家住宅で大切にされ、今でも地域の篤い信仰を集めている。
現在の岐阜県で生まれた円空は、寛文6(1666)年の時に北海道へ渡って仏像を残したといわれている。
B重要文化財 旧笹浪家住宅
旧笹浪家住宅(主屋)は、代々ニシン漁で栄えた能登屋笹浪家の住居と仕事場として使われた建物(1826 ~ 1838 年の間に建築)で道内最古の民家建築である。
笹浪家は、能登半島に所在した笹浪村出身とされる。
C菅江真澄
三河国(愛知県三河地方)出身の菅江真澄は、寛政元(1789)年に上國寺の松逕上人と語り合った後、周辺の街並みを見学した際にユーモアのある看板を描いている。
「七里酒」は、二里と五里で二五里(濁り)酒と表現したものである。一方の「 有」は、酒という字に濁点をつけて濁り酒を表現したものである。
当時、北海道では米が貴重で濁り酒の製造が禁止されていたため、間接的でかつユーモラスな方法で知ってもらおうというものである。
D京谷家のニシン漁具
ニシン漁に使用した刺し網とアバである。アバには、墨書で「鰊大漁」や天保・慶応のほか明治時代を中心に記載されている。
京谷家のアバは、日本海から約3㎞内陸の中須田地区でみつかったもので、江戸~明治時代にかけて春先のニシン漁が盛況の際、農家が漁に従事していたことを物語る資料である。
E日本海の漁村文化
小砂子地区の家々では、家の軒先にホッケ干しなどの風景をみることができる。
また、郷土料理として、地元の海で獲れるひじきを大量に入れたけんちん汁は、町内でも小砂子地区だけの郷土料理として知られている。
F中外鉱山~鉱山資源の開発~
昭和 14(1939)年7月に八田満次郎が創業。昭和 18(1943)年に中外鉱業(株)が買収し開発が進む。昭和 35(1960)年には、鉱業の好調によって上ノ国の人口が 15,000 人と最多になる。機械化がすすみ快適な環境で生産され、厚生施設も完備されていた。昭和 61(1986)年休山。
G四季折々の秀逸な自然景観
日本海を望む海岸線からは、至る所から夕日を望むことができる。小砂子地区では、灯台越しの夕日、石崎地区では比石館跡の鳥居越しの夕日、木ノ子地区では古舘スタンド前の夕日、道の駅もんじゅの夕日が人気である(写真は、比石館跡の鳥居越しの夕日)。