解題・説明
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この鰐口は、驚くほど胴が厚くできており古様を示すが、中圏線も外圏線も2条に作られながら条間がゆったりと開き、やや時代がさがる様式をみせている。 銘文は刻印で、表には「大工大窪(おおくぼ)村小熊(おぐま)理左衛門 諸願成就 皆令満足 越後之国沼垂(ぬったり)郡椎谷(しいや) 寛文拾弐年(1672)壬子三月十八日」、背面には「大辻山観音堂敬白正福寺花蔵院(けぞういん)」とある。 なお、「沼垂郡椎谷」とあるのは、江戸初期の高田城主・稲葉氏の治政下でのみ、刈羽郡を沼垂郡と称したもの。【『柏崎市の文化財』2012年】
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