解題・説明
|
前半に空海、道風の筆蹟を臨書した「篭書き」が綴られている。生田萬(いくたよろず)(1801~1837)が範とした書風をうかがうことができる。後半の“夢路の書”は文政6年(1823)10月、23歳の時の作で、日光紀行を夢に托して綴った流暢(りゅうちょう)な和文体である。生田萬が国学者、平田篤胤(あつたね)の門に入る前年のもので、詩文注解から脱して初めてつくられた擬古文(ぎこぶん)(古代の文体をまねて作った文)で、古道修学の思想的転換期に入ったものといわれる。巻末に二荒神社考(ふたらじんじゃこう)があり、「生田道麿しるす」となっている。なお、生田萬は天保8年(1837)6月、桑名藩柏崎陣屋(市内大久保)へ討ち入り、刑死を遂げている。
|