解題・説明
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生田萬(いくたよろず)が天保2年(1831)上州太田(群馬県)移住の頃までの歌500首を自撰したものである。これ以前、文政8年(1825)にも萬の書斉の雅号“鏡室”にちなんで題した“鏡の歌100首”を上程しているので、これは第2冊目となる。歌風は古今集を、長歌は万葉集を範としたものと見られ、国学者としての思想を形成した時期の歌とされる。国学に眼を開く動機や、逆境に耐えながら神道弘布に燃える壮志を自然の情景のうちに歌い出している。天保8年(1837)6月に柏崎陣屋(市内大久保)へ討ち入ることになる若き日の一国学者の想いが理解される。印章は“生田首(おびと)印”を用いている。
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